初めてコピーが世に出た日
コピーライターになったら、
毎日、たくさんキャッチフレーズを書いて、
どんどん世に出ていくもの。
だと思っていた。
現実は違った。
ひとつのグラフィックの仕事に、
何人ものコピーライターが入る。
プレゼンのカンプに、
自分のコピーを入れてもらうまでが、まず大変。
他の案が採用されたら、
他のコピーライターの仕事、
それまで書いたコピーはお蔵入り。
自分のコピーの入った案が通って、
やったー!と思うのも束の間、
クライアントから、
「ビジュアルはいいけど、コピーを再考して」
と言われて、またみんなで書く、
ということになったりもする。
そんなこんなで、初めてコピーが世に出るまで、
約2年もの時間を費やした。
西武百貨店の、バレンタインのコピー。
3本採用されるのに、書いた本数は300本を超えた。
宣伝会議賞の1次審査よりも低い確率。
掲出開始の日、池袋の西武百貨店に見に行った。
ポスターは、エスカレーター脇に貼ってある。
自分のコピーを見つけては、写真に撮った。
自然と涙が出てきた。
2年間、ずっと抑えていたものが溢れだした、
そんな感覚だった。
はたから見たら、ただの変な人ですけど。
でも、もしも、CRにきて
すぐコピーが出ていたら、
もっとダメなコピーライターに
なっていたかも知れない。
あの「コピーが世に出ない2年間」が、
コピーの大切さを教えてくれたと思う。
たった数日、エレベーター脇に
ひっそり貼られていたコピー。
そのときの気持ちは、一生忘れることはありません。
一週間、読んでいただきありがとうございました。
本当は、ここからまだ3年間の
コピーライター生活があるのですが・・・
中途半端に終わってしまい、すみません。
来週のコラムは、モード学園
「親からもらった名前を、いつかブランド名にするんだ。」
というステキなコピーで今年新人賞を受賞された、
フロンテッジの上島史朗さんです。
初対面の阿部くんからバトンを受け継ぎ、
またまた初対面の上島さんにバトンを渡してしまいました。
お2人とも、今度ちゃんと飲みに行きましょうね。