長野のこと①
募集:CMプランナー
『宣伝会議』の地域求人特集にあった一行に、僕は飛びついた。
それは、長野県の広告会社だった。
学生時代、競技スキーをしていた僕にとって
長野県は(勝手に)第2の故郷。
これはきっと何かの縁だ。
電話をしたら、面接に来てほしいとのこと。
2回目の面接には、笑顔の社長がいた。
「まぁ、頑張ってみなさいよ」
20代、埼玉出身の僕は、長野で働くことになった。
最初の仕事は、地元のケーブルテレビの番組制作だった。
駅前の百貨店がスポンサー。
内容は催し物の案内、季節のおすすめ品の紹介、
店員さんへのインタビュー、タウン情報等々。
手作りマペットの番組キャラクターが
レポーターと一緒に店内を回る。
百貨店を舞台に、ミニドラマをやることもあった。
30分番組。くりかえし放送して、毎週水曜に更新する。
くりかえし放送するから、
長野市や須坂市では多くの人が観ている高視聴率の長寿番組だ。
1週間のスケジュールは以下の通り。
木曜、取材。
金曜、取材と撮影。
土曜、取材と撮影。
月曜、社内の編集機でオフライン(徹夜)。
火曜、スタジオで本編集+MA、入局。
水曜、次週の企画会議。
毎日、必死に取材と撮影をくり返した。
あれ…何かおかしいぞ。
CMの仕事は…?
撮影、編集チームも含めて総勢10人の
番組制作スタッフに欠員が出たことが
「CMプランナー募集」の真相だったみたいだ。
初出社の日から、地元のお坊さんに取材に行った。
「善光寺縁起絵巻」について丁寧に語るお坊さん。
必死にうなずきながら、自分は何で
こんなことしているんだろうと心の中で禅問答した。
番組スタッフの皆さんは、
意気揚々と番組を作り続けた。
みんな、この30分の番組を
いいものにしようと一生懸命だった。
戸惑う日々は続いたけれど、
ここで頑張らないのは失礼だと思うようになった。
とにかく百貨店に通って取材を続ける毎日。
くる日もくる日も、番組を作りながら、
水曜日の企画会議に向けて企画を作った。
はじめて自分の企画が通ったのは、
1年半がすぎた頃だった。
「1ヶ月の無人島生活。持っていくなら何?」
毎回様々なテーマで1時間買い物をしてもらう、
お客さん参加型の企画。
初回は、自分が所属するフットサルチームの
キーパーにお願いして出演してもらった。
やっと企画がオンエアし、
その企画が軌道に乗ってきた数ヶ月後、
予算の見直しがあって、
10年以上続いてきた番組の終了が決定した。
さて、これからどうしよう…。
(つづく)
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…ぜんぜんコピーの話が出てこなくてすみません。
はじめまして。
フロンテッジの上島史朗と申します。
電通の宮田さんから、
重たいバトンを渡されました。
「コピーライター」になるまで、
たくさんの方にお世話になったことを思い出して、
これまでの日々をまとめさせていただきます。
1週間、よろしくお願いいたします。
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