リレーコラムについて

2009-2010

吉田一馬

今週3回に分けてお届けする
人生日記(自伝)的なリレーコラム。
本日は、2009年後半&
2010年について書かせて頂きます。

2009年の春、僕は
広島から金沢へ転勤しました。

金沢支社のクリエーティブは
コピーライターの僕と、
一つ年下のアートディレクター松澤の2人。

隣の富山支社はさらに人数が少なく
僕の2コ上のCMプランナー後藤さん一人。

電通西日本の北陸2支社は、
CD不在の土地だった訳です。

CDが居なくなって、
「支社も自分も駄目になった」と
言われたくない一心で、金沢異動後は
かなり「前のめり」に仕事をしていました。

支社メンバーにも、協力会社さんにも、
熱く(うるさく)接して
かなり鬱陶しいヤツ(&嫌なヤツ)だったと思います。

でも周りの皆さんは、
そんな僕を温かく見守ってくれ、
徐々に金沢という街に馴染ませてくれました。

そして金沢に行って半年くらい経った頃から、
徐々に「忘れられない出来事」が
金沢で生まれてきます。

『2009年秋、ワザナカ誕生。』

フリーで活躍されていた
デザイナーさんが集まり、会社の近くに
合同会社ワザナカを作ってくれました。
その後宮保さんも所属され、今では
北陸を代表するプロダクションの
一つになられたのではないでしょうか。
社名を考えさせてもらった縁もあり、
この前もメンバーの結婚式に呼んでもらう等
今でも公私共にお世話になっている会社さんです。

『2009年冬、FCC審査員特別賞。』

金沢のCM制作会社フィックスさんに
死ぬほど迷惑をかけまくって作った
「福井米(くいだおれ太郎出演)」のCMが
FCC審査員特別賞をもらいました。
全国にフィックスさんと電通西日本金沢支社を
PRできて素直に嬉しかったです。
年鑑にも載せてもらったスタッフの
皆さんとの集合写真は
僕の記念の一枚になっています。

『2010年春、ACの広告を作成。』

お世話になったフィックスさん・ワザナカさんと
一緒にACの広告を作る機会に恵まれました。
(「思いやりも、日本の国技に。」という広告)
「こんな機会、一生に一度しかない。」を合言葉に
これまた皆さんに死ぬほど迷惑をかけまくって
作らせてもらいました。

『2010年秋、まなぶクリニック作業スタート。』

宮保さんに新人賞を獲ってもらえるチャンスと考え、
AD橋本さんと宮保さんにプレッシャーを
かけ続ける日々がスタートしました。

他にもいろいろありましたが、
この場では書ききれないので
抜粋して書かせて頂きました。

なお、上記に記したワザナカさん、
フィックスさん以外にも
アビックスタジオさん、真空ラボさん(福井)、
アイアンオーさん(富山)他、
たくさんの制作会社さんにお世話になりました。
(広島の制作会社さんにも随分助けてもらいました)

また、「クライアント」にも恵まれましたし、
「離れた場所の上司」の有難さを
実感する時期にもなりました。

ちなみに、この期間プライベートでも
思い出深い出来事がありました。

『2009年秋、父の還暦祝いを金沢で。』

両親と、東京の弟家族を金沢に招き、
還暦祝いを行いました。
金沢らしいお店をチョイスして開催したのですが、
皆が皆「良い意味で、金沢で還暦祝いをするとは
思わなかった」「金沢で出来てよかった」と
口を揃えていました。
転勤して良かったな、と思えた瞬間でした。

『2010年夏、嫁、妊娠。』

金沢で新しい命を授かりました。
(さらっと書いてますが、
詳細はまた明日書きます)

この期間は、今振り返っても
公私共に印象的な期間となりました。

ただ、2011年はもっと
印象的な期間になるんですけどね。

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