モノに笑いを宿せ
だからといってなぜ思い出せないのだろう。
私の好きな漫画家、吉田戦車氏の言葉に
違いないのだが、いったいいつどこで
どういう脈絡で読んだのか。
近ごろ物忘れが激しくていけない。
というか忘れないために
ネタ帳にメモしていたわけだが。
メモを見直してみよう。
“モノに笑いを宿せ(吉田戦車)
→(モノの気持ちを考える)“
なるほど。私はこの言葉を、
モノを擬人化して考えると解釈したわけだ。
続いてなにやらコピーともコントともつかない
書きなぐりが続いている。
題して「ネタの国から」。
「俺はなぜこの長さなんだ? 誰が決めた?
俺はいったいどうやって生まれたんだ!」
by 思春期の1m定規
(お前は地球の赤道と北極圏の間の海抜0における
子午線弧長を1/10000000倍した長さとして
生まれ今は1秒の299792458分の1の時間に
光が空中を伝わる距離として存在するのだ。
などと親に言われたらグレて
盗んだバイクで走り出すかもしれない)
「みんなにとっては非常でも、私には日常。
結局誰も私のことなんか気にしてないのよ」
by 一人暮らしの非常口
(たまには思い切って自分を開放することも
必要ですよなんてカウンセリングされそうだ)
「ほんとうの僕を見てくれ!みんな
イメージでしか僕を見ていないじゃないか!」
by 人気アイドルの赤道
(本当のキミは理論上の存在、イメージこそが
唯一キミの実態なのさ。と指摘してやりたい)
「一度でいいからボクも
燃えるような恋がしてみたい・・・」
by 臆病な消火器
(消防訓練でもないのに安全ピンを抜いて
思いっきり放出してあげたくなる)
・・・・・うーむ。
これでは筒井康隆作「虚構船団」の
パクリにすらなっていない。
私はお笑い芸人に向いていないことが
つくづくわかった。
というかちがうちがう。
これはコピーを書くためのネタ帳である。
「word world」
と表紙に書いたタイトルだけは
少しばかり気に入っているのだが。
いやはや、山は高く道は遠い。
うまずい、おそるべし。