リレーコラムについて

犯人はラオス人。

中川真仁

13年前、僕はラオスに一人旅をしていました。

学校へはほとんど行かず、友人関係に疲れ
半分ひきこもりで、お金を貯めては海外に出かける
という暮らしをしていました。

「陸路で国境を超えてみたい」という
大きいのか小さいのかわからないテーマでラオスを選び
タイから陸路で向かいました。

あ、クスリはしてません。

元フランス領のラオス。パンが美味しくて
料理もうまい、フルーツもうまい。物価はもちろん安い。
(一万円替えたら、辞書くらい返ってくる。)

首都ヴィエンチャンでの市場を見て、さあ
ぷらぷらしようかと、大きな交差点をわたった時。

バイクに盛大にはねられました。

信号もないので、渡ろうと思った刹那、バイクの運転手と目が合い
「あ、先に渡っちゃおう」とした時に、気があったんですかね…
気づいたら、脚にタイヤ。はげしく転倒。足は血まみれ。

後ろに大型トラックがいたので、すぐに立ち上がり
「痛いんじゃボケ」とラオス人が聞いたことの無い言語で、すぐさま罵倒。
気づいたら走り去っていましたが…

始終を見ていたバイクタクシーの兄ちゃん達がわらわら集まり
「俺が連れて行く、俺が連れて行く」と、魚のセリのようになり
結果一人の兄ちゃんをお買い上げ。病院まで搬送してくれました。

多少の英語は大丈夫なのですが、病院英語はわからず
足から出血を多量しながら途方に暮れていると
「おれ世田谷にすんでたよ」というラオス人と遭遇。
世話を焼いてくれました。その関係で東京時代の住まいは世田谷です。

メコンの夕日を見るために、包帯したまま川沿いを歩いていると
「日本人ですよね」と声をかけられ、酒盛りに。
気づいたら15人くらいで大宴会。よくわからん日だけど最高だと思いながら
ご機嫌に帰りました。

そこはメコンのウィスキー。朝起きたら飲み過ぎて
血が巡ったのか、ベッドは血まみれ。
起きてから、「死んでるやん!」と矛盾したツッコミをしたことを
覚えています。

関西国際空港にて。税関に錠剤が見つかった私は
「た、た、たぶん化膿止めです」という言い訳むなしく検査のため
別室待遇。パンツ一丁で、マッチョな税関の新婚旅行の話を聞くという
拷問に遭いました。

この事故をした日が、エイプリルフールだったということは
忘れやしません。

今日の教訓はもちろん
「ラオスでバイクにはねられたら、お酒を飲み過ぎてはいけません」です。

でも、また行きたい。

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ご意見ご感想、苦情、共感、「ひき逃げ犯は私です!」等は 
masahito.nakagawa@daiko.co.jpまで。

今週はTCCの締め切りですよ!

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