人生で初めてした「妥協」は、美しい。
小学校1年生の写生大会は、「牛」がテーマだった。
みんなで近くの農場に行き、初めて見るホンモノの牛をスケッチした。
その農場がどこにあったのか、どうやって行ったのか。
今となっては何も覚えていない。
後日、教室でそのスケッチに水彩絵の具で色を塗ることになった。
背景を書き込むという発想は全くなかった。
スケッチブックには、牛しか描かれてなかった。
となると、牛は、白と黒。問題はその背景だ。
「牛」→「闘牛」→「赤しかない」
当時の自分がそう思ったかどうかは定かではないが、
とにかく勢い良く赤で塗っていたことは良く覚えている。
その途中で、先生に「赤はないだろ、赤は」とたしなめられたことも。
びっくりした。
この人は、一体何を言っているんだろう?
意味がわからなかった。
「黄色とかがいいんじゃないか?うん、黄色で塗りなさい。」
そう、先生は言った。
いま思い返してみると、
牛の下には藁が敷いてあったような気もする。
だから、だろうか。
数分後、僕は乾いた赤い絵の具の上から、黄色を塗り始めた。
それが人生ではじめて妥協した瞬間。
屈辱だった。
何か賞をもらったような気もするが覚えていない。
消し去りたい記憶だったのだろう。
それから20年たったある日、
母親がそれを実家の玄関に飾り始めた。
ずっととってあったことも知らなかった。
「こどもの絵ってすごいわね。
やまだかまちみたいだから、見に来なさい」
と言う。
あ、ここでやまだかまちが出てくるってことは、
20年たってなかったのかしら?
まあ、それはさておき、
ご多分にもれず、
それはいまとなっては絶対に書けない絵、
こどもが、本当の意味でこどもであるうちしか書けない、
なかなかの絵だった。
やまだかまちは言い過ぎとしても。
そして、綺麗に塗りつぶしたはずの黄色の下から、
ところどころ赤が顔をのぞかせていて、
それがとてもキレイだった。
結果として、赤だけの背景より、よっぽど美しかった。
こういうことがあるから、人生は困るなあ。
いまイケイケの岡田先輩より、バトンを受け取った井口です。
新しいホルベイン絵の具のキャンペーンに、
こんなコピーはいかがでしょうか?
ちょっと違いますかね?それにちょっと長いですかね?
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