オリンピック、見に行くぞ。
1964年のオリンピックは、見に行けるはずだった。当時私は、墨田区押上の第二吾妻小学校3年生。6年生も5年生も4年生も、学校からオリンピックを見に行った。オリンピック帰りの上級生たちは光り輝いて、ひとまわり大きく見えた。朝の登校は子供会で並んで行くのだが、上級生はその話で持ちきり。私たち3年生以下はいつお声がかかるか、楽しみにしていた。
家では父と母がかなり奮発して、カラーテレビを買った。学校から帰ると、ランドセルを背負ったまま、オリンピックの中継を見ていた。普段は子どものテレビ時間にうるさい両親も、この時期はニコニコしていて、許してくれた。東洋の魔女のアタックや、体操の選手の回転技を妹と真似をし、ふすまに穴を開けても、あまりしかられなかった。
その頃の怖い思い出もある。中国が核実験をして、放射性物質が日本の上空に飛んできたのだ。放射能は怖いものだと思っていたので、雨にあたらないよう、毎日学校に傘を持って行った記憶がある。そして、オリンピックは閉会した。結局3年生以下はオリンピックに連れて行ってもらえなかった。テレビかじりつき自由もなくなった。だから当時の思い出は、楽しかったり、怖かったり、悲しかったり、かなり入り乱れている。
2020年のオリンピックまであと7年。原発の問題を解決し、東北の復興が成され、心の底から幸せな気持ちで、オリンピックを迎えたい。そのために出来ることは何か、考えたい。今度は絶対、見に行くぞ。絶対、楽しい記憶だけ残すぞ。
勝手なことばかり書きましたが、
読んでくださった方、ありがとうございます。
立ち止まり振り返る良い機会を持つことができました。
来週からは、京都出身のはんなりやさしい笑顔の
宮井政明さんにバトンをわたします。
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