おばあちゃんの焼きおにぎり
外﨑郁美
コラム3日目。
話題は食べ物へ。
どんなに美味しいと言われている名店でも
叶わない、世界一美味しいおにぎりがある。
おばあちゃんの焼きおにぎりだ。
9月で80歳になったおばあちゃんは
津軽弁バリバリの生粋の青森人。
青森県以外の土地で暮らしたことがなく、
料理の味つけも青森仕込み。
そんなおばあちゃんの味で育った母に
育てられた私の舌も、すっかり青森仕込み。
毎年季節がめぐってくると、
東京ではなかなか作れない
おばあちゃんお手製の郷土料理が
段ボールいっぱいに送られてきた。
ニシン漬け、ホッケ寿司、ミズのおひたし。
そういう東京ではあまり聞かない
日本酒に合いそうなものが大好物なのは、
あきらかにおばあちゃんの影響だと思う。
(おばあちゃんは一滴もお酒を飲めないのだけど)
そんなおばあちゃんの数々の手料理のなかでも
ひときわ美味しいのが、焼きおにぎり。
この焼きおにぎりには
家族の思い出がつまっている。
結婚してはじめて東京に出てきた私の母は
青森で里帰り出産をし、
東京に友だちがひとりもいないなかで
長女の私を育てた。
寂しくておばあちゃんに電話するも、
遠方への電話料金が気になって
なかなか長電話できなかった。
そんな母にとって、年に一度、
夏に私を連れて里帰りするのが心から楽しみだった。
私が中学生になるまでは、
夏休みのほぼ一ヶ月半を母と青森で過ごし、
お盆休みになると父が東京から
はるばる車で迎えに来てくれた。
母と父の実家はふたつとも青森県弘前市にあり、
歩いて10分程度の距離。
夏に親戚一同が弘前に集まるのは、
家族にとって一大行事だった。
青森で涼しい夏を過ごし、
ねぷた祭りが終わりお盆になると
町中のひとが玄関で迎え火を焚きはじめる。
ご先祖様に帰る場所を知らせる火だという。
めらめらと燃える炎を
みんなでしゃがんで見ながら
たわいもない話で盛り上がる。
このたき火も数日目には送り火になる。
「また来年ね」
ご先祖様を送りだしお盆が終わる頃、
青森には早くも秋の風が吹きはじめ、
私たちも東京に戻ることになる。
当時、車で東京に戻るには
ひどいときには10時間を要した。
渋滞を避けるため早朝に出ることになる。
そのときに必ずおばあちゃんが作ってくれたのが、
この焼きおにぎりだった。
おばあちゃんのおにぎりは
三角じゃなくてなぜかまあるくて、
海苔のかわりにたっぷりの黒ごまをまぶしてある。
コンロの火でじっくりと丁寧にあぶられた
焼きおにぎりは、ごまとおこげの香りが芳ばしくて
なかにはおばあちゃんお手製の梅干しか
しょっぱい焼きじゃけが入っている。
車のなかで紙の包みをひらいて、
塩漬けにされたきゅうりをかじりながら
この焼きおにぎりを食べるのが大好きだった。
家族みんな2個も3個も食べた。
おばあちゃんは、この焼きおにぎりをつくるために
私たち家族よりもうんと早起きしてくれていたのだ。
まだ薄明るい朝6時。
大量の荷物が詰めこまれた車に乗った私たちを
おばあちゃんはおじいちゃんといっしょに
必ず玄関の外に出て見送ってくれた。
一本道の曲がり角にさしかかるまで
ずっと手を振り続けてくれた。
実はこのコラム、出張から羽田に戻る
飛行機のなかで書いていたのだが、
羽田に着いて父から着信があったことに気付いた。
届いていたメールを見て愕然とした。
おじいちゃんが亡くなったというのだ。
腸捻転で病院に運ばれた後に意識を失い、
心臓が停止してしまったそうだ。
87歳だった。
先週、おじいちゃん宛に自分の新人賞が載った
TCC年鑑を送ったばかりだった。
横でおじいちゃんが熱心に読んでいると
おばあちゃんが電話でうれしそうに話してくれた。
くたっと曲がった背中で
熱心に文字を読むおじいちゃんの姿を思い浮かべた。
おじいちゃん、今まで本当にありがとう。
どうか、おばあちゃんのことを
空から守ってあげてください。
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