「補助輪の人」
永井史子
とてもとろいので、自転車に乗れないまま大人になりました。自転車など乗れなくても生きていける、というのが私の信条で、実際困りやしなかったのです。ちなみに車も酔うので乗れません。飛行機はこわいので乗りません。結局電車と徒歩だけで生きていたのですがなんだかんだでうまくいくものです。
昔は。
大学に入り、通い始めるとある問題が生じました。構内が広すぎる。荷物が重すぎる。やる気がそこまでなさすぎる。歩くと間に合わないし、しんどいし、走るほどの熱意はない。つまり、私の為に大学内に線路が敷かれるべきでしたし、そうはならなかったので、大学に行くのをやめるか自転車に乗るしかなかったのです。
自転車。その乗り物をひとは「簡単に乗れるよ〜」とか言います。おまえに私の三半規管の何が分かる。そもそも車に酔うのだって、三半規管が弱いからなのです。バランスがとれない。スピードが早すぎて情報処理がおいつかない。なにもかもを轢きながら走ってもいいっていうなら別ですが、自転車も車も私の為に設計された乗り物ではないのです。そんな私にとって、たったひとつ、取れる方法は、自転車に補助輪をつけること。そうです、あの子供が自転車に乗る為につける、あの小さな車輪。だれも大人はつけていない、あの車輪。それを、大人用自転車につけるしかないのです。
自転車屋さんに行き、車輪が小さい折りたたみ自転車に無理を言って補助輪をつけてもらいました。それに乗って、それでもさまざまな人やモノにぶつかり、カゴをぼこぼこにしながら、私は走り続けました。留学生に片言で「ガンバッテー」と言われ、守衛さんに足が悪いのかと心配され、知らん学生に写メをとられ、「補助輪の人」と呼ばれ、うざい好奇心にさらされつづけ、ことごとく私の心の壁がさらに分厚く高いものになったのは言うまでもありません。
私は大学時代、ほとんど人と会話をせずに過ごしたのですが、それもこの環境では致し方なかったでしょう。せめてもの救いは、いまほどネットが栄えず、SNSに私の自転車が共有されることはなかったということ。私の人間に対する信頼と、私の大人としてのプライドを犠牲にして、1年後無事に補助輪はとられ、私は自転車に乗れるようになりました。補助輪がなくなり普通の自転車に乗り始めたことが、なんとなくさみしく思えたり…は、特にしてません。とりあえず清々しました。
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