リレーコラムについて

2006年

岩田純平

こんにちは。
電通の岩田です。

電通で一番
電通らしくない
クリエイティブの岩田です。

根がメーカー社員なので。

しかし、この
「電通らしくなさ」
が功を奏して
僕は電通に入ることができたのです。

時は2005年。

当時電通はクリエーティブの人を
中途で年5人くらい
定期的に採用していました。

いろいろ端折ると
それに応募して
採用してもらったのです。

入社して半年も経った頃でしょうか。
当時のK局長が教えてくれました。

俺がキミを取った理由は3つあるんだ。

1つ目は、コピーライターなのにデザインがうまいこと。
2つ目は、電通の社員にはない素朴な人柄であること。
3つ目は、コピーが書けること。

僕は養命酒時代、
コピーからレイアウト、イラストまで
新聞広告を全部一人で
つくっていました。

そのデザインがまあまあよくて、
電通らしくない素直な青年で、
コピーがちょっと書けそう。

そんなラッキーな理由で
僕は電通に入社できたのです。

素朴な人でよかったです。

素朴といえば、
角瓶のCDのO島さんにも
「信州の田舎から出てきてよく頑張ってるナ」
とほめていただいたのですが、
それは僕が養命酒に勤めていたことからの誤解で、
実際は横浜の団地の出身です。

しかも高校が大学の付属校だったことを知ると、
その苦労してなさに、
がっかりを通り越して
若干お怒りになられていたことを
昨日のことのように思い出します。

しかしながら、
さすがに素朴だったから、
というだけで電通には入れないわけで、
(書類で素朴さはなかなか伝わりませんし)

なぜ電通が岩田を取ってみよっかなー、
と思ったかというと、
2005年に養命酒の広告で
TCC賞を取ったからです。

ちょっと自慢ぽいですね。
すみません。

2002年に新人賞をいただいてから、
これはもうちょっと頑張れば
部門賞いけるんじゃね?

と内心では、
素朴でも何でもなく、
野心丸出しで、
養命酒の広告をつくっていたのですが、

養命酒は医薬品・日用品の
D部門だったので、
金鳥さんが調子悪い年なら取れる、
と本気で思っていたのですね。

しかし、
いつからか部門制が廃止され、
サントリーさんとか、
宝島さんとか、
もう太刀打ちできなさそうな
TCCギャングのような
ビッグブランドが
いっしょくたになってしまったのです。

金鳥だけでも大変なのに・・・。
僕は途方に暮れました。

なのですが、
TCCという賞は
小さい広告でコツコツ頑張っている人を
応援してくれる一面もあったりして、
養命酒の広告をちまちまつくっていたら
3年後に努力賞的にTCC賞を
いただくことができたのです。

TCC賞が取れて
わーい
とのんきに喜んでいたわけですが、
そんな時、
師匠の一倉さんに言われました。

「岩田、お前これからどうするんだ?」

僕の師匠がなぜ一倉さんかというと、
一倉さんが8回教えてくれる
宣伝会議の特別コースの
生徒だったからなのですが、
その師匠が言うのです。

「一生養命酒で
がんばっていくのもいい。
けれど、本当にそれでいいのか?」

たしかに、
そろそろ養命酒の広告も
ネタ切れ気味でしたし、
これ以上の発展は見込めないような
気もしていた時期でした。

僕は師匠に聞きました。

「どうすればいいと思いますか」

「うちの事務所に机が一つ余っている。
それをつかってもいいよ。
眞木さんも独立する時に
ある時期仲畑さんところに
間借りしていたんだよ。
そうやって独立するのも
いいんじゃないか」

独立!
全く想像していなかった
お答えが返ってきました。

「じゃあ頃合いを見て呼ぶから」

元々、椎名誠の自伝的小説が
好きだった僕は、
どうなったっていいじゃないか、
いいぞいいぞ、
と頭の中がなんとなく
椎名くん口調になっていました。

で、
一倉さんからの連絡を
待っていたわけですが、
なかなか連絡はきません。

きっとお忙しいのでしょう、
くらいに考え、
ぼんやりといつも通りの毎日を
過ごしておりました。

そして10月。
TCC賞の授賞式で久しぶりに
一倉さんにお会いしました。

「おう、岩田。
転職活動がんばってる?」

おや?
師匠からの連絡を待っていた僕に
なかなかのカウンターパンチです。
当然転職活動などがんばっていません。

「いえ、やってないです」

「何やってんだよ。
お前の賞味期限は1年なんだぞ。
1年後には新たなスターが生まれて
岩田のことなんて誰も覚えてないよ?」

「あの、独立がどうこうというお話は・・」

「ああ、よく考えるとさ、
養命酒の広告しか書いたことない奴に
いきなり仕事発注する人もいないよね」

「・・・あの、僕はどうすれば」

「とりあえず大きな代理店に行きなさい」

というわけで、
その頃から転職をリアルに
考えはじめるのですが、
ちょうどいいタイミングで
電通が中途を募集していたわけです。

それで、
受けてみたら
イラストがうまくて
素朴だという理由で
めでたく採用していただいたのです。

内定を頂くと同時に
養命酒担当の営業次長から
直電がかかってきて
「円満退社が条件だからな」
とすごまれ、そこで
「ああ、もう僕クライアントさんじゃないんだ・・」
と実感したのを覚えています。

「あの、来週結婚式で
主賓とかスピーチとか
会社の上司ばかりなので
それが終わってからの報告でも・・」

「ダメです。いますぐです」

2006年の早春でした。

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