リレーコラムについて

1994年のはなし。

松村祐治

今週から電通では
新入社員が各部署に配属されはじめたようだ。
わたしたちの
コミュニケーション・デザイン・センターという
部署にも数名。
いやいやヤングたち、がんばってくれたまえ。

僕が新入社員で配属されたのは
関西支社のクリエーティブ局。
当時局長は、あの堀井さんだった。

配属された日に新人たちは局長室へ呼ばれ
「がんばりや。おもろい仕事やで。」的なことを
とても笑顔で言ってもらった。
とても笑顔なんだけど、いや笑顔ゆえか
とても緊張したし、こわかった。

そのあとエレベーターに乗ってると
テレビや雑誌で見たことある人が乗ってきて
「わ、石井達矢だ!」と思ってまた緊張した。
すると突然
石井さんが、僕のおしりあたりを
モゾモゾ触りはじめたので
「おお、石井さんはそっちなのか。」
「でも、あの石井さんだ。抵抗は失礼だ。」と思い
体をこわばらせてると
石井さんは、
「君、コレついてるで。」と
僕のスーツのズボンについたままだった
クリーニングのタグを、取ってくれた。
すごくいい人でした。

で、
僕は長尾CD部という部に配属された。
長尾さんが、僕のはじめての上司で
最初に広告の作りかたを教えてくれたひとだ。

めちゃくちゃ恐い人で有名だった。
とにかく大抵、怒っていた。
威圧感のあるイタリアなスーツで
反社会的勢力のルックスだった。
いろんな人に「わー、松村、大変だなあ」と
同情された。

僕が、企画に時間かかってると、
激怒した長尾さんに
「アホかお前は!15秒のCMは15秒で企画せえ!」
と怒鳴られ、

打ち合わせに持って行く企画の数が少ないと
「ボケ!若いうちは質より量や!企画も女も!」
と怒鳴られ

撮影現場で僕が談笑していると
「コラ!お前、現場で歯、見せんな!」
と怒鳴られ

タクシーが編集室に行く道で迷っていると
まず、タクシーの運ちゃんが、
「お前、それでもプロか!」
と怒鳴られ、長尾さんはタクシーを降り、
続いて地図を渡された僕が
困っていると
「お前、地球物理学卒で地図も読まれへんのか!」
と僕がどやしあげられ
その辺のマンションの管理人に
道をたずねに走る、というデイズだった。

一方で
すごく僕を応援してくれたとも思う。
ふたりでいるときに、ごくまれに
「お前は、この仕事に向いてる。」
「この企画は、俺にはできん。悔しいけど誉めたるわ。」
「お前がおもろいと思ったことをやれ。それが一番や。」
とかとか、こっそり誉めてくれた。

若いころは、自分が広告クリエーターとして
やっていけるのかどうなのか、
さっぱり自信ないですよね。
だから、誰かに認めてもらうのは、
とても勇気になりました。

まあでも、その100倍は怒鳴られたのですが。

てな具合に
僕のクリエーターとしての姿勢は
やはり、長尾さんにもらった部分が大きい。

クオリティのために努力は、いつまでも続けろ。
さぼるな。安心するな。甘えんな。

とか、そんなあたり。

長尾さん、ありがとうございます。

なんて、照れもなく書いてるのは
先日、長尾さんが亡くなったんです。急に。
で、ご本人に、言いそびれてまして。

あ、しんみりしちゃいましたね。

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