北の国から その4
TCCが終わったと思ったら、昨日はACCのパーティーでしたね!
受賞者のみなさんおめでとうございます!うれしい会が続きますね。
毎年授賞式が続くこのシーズンですが、受賞者がいれば受賞できなかった人もいるように、北の国でも出会いがあれば別れもありました。
甚だ強引ですが、今日はお別れの話を書いてもよかですか?
ちなみに僕は後者です 笑。
お互い来年こそは頑張りましょう!
帰国の日、早朝便のため、5時に起きて朝食を取ろうとしていると、血相を変えてファンさんがやってきました。
「朝食は無しです!飛行機の時間が変更になって、もう間に合わないかもしれま
せん。とにかく車に乗って下さい!」
何時発になったのかは教えてもらえないままでしたが、荒い運転が緊迫感を伝えてきます。このままもう一泊となり、予定通りに帰国しなかったら、日本の友達大騒ぎするだろうなあ、と思っていたら、
「急ぎましたが、忘れ物はないですか?パスポートはちゃんと持っています
か?」とファンさん。
僕も山田さんも塚ちゃんも、えっ!?。
パスポートは預けたままじゃないですか。しかし、
「お返ししたはずです。パスポートが無いと出国できないんですよ」。
そりゃそうでしょう!!
フライトの変更もパスポートの間違いも、旅先では良くあること。
ですが、ここは北の国。
状況的には、早朝薄暗い中、急に車に乗せられて猛スピード、そしてパスポートも無い。しかも、今まで全て日本語で喋っていたファンさんなのに、鞄を開けながら、朝鮮語を口走っている。
この車は、一体どこへ向かっているのか。
最後の最後にきて、これが、噂の・・・と、背筋が凍っていると、
「あったあった!すみません、私が持っていました。ビックリしましたねえ
(笑)」と、ファンさん。
ビックリしましたよ・・・。
しかし、これこそ北の国でしか味わえない緊張感。他の国にはちょっとマネできない本場の味です。最後に堪能できて、むしろラッキーと言うべきでしょうか。
ホッとして外を見ると、ようやく上った朝日に、柳京ホテルが輝いていました。
柳京ホテルとは、ネット等で見た方もいらっしゃると思いますが、ガラス張りで巨大なピラミッド型の、ともかく異様な建造物。アジア通貨危機の影響で工事がストップしたままなのですが、「来年完成します。今度来たら、柳京ホテルに泊まれますよ」とのファンさんの言葉を思い出したのでした。
今度、ってあるのかなぁ・・・
帰れない、と思うとビビるくせに、帰れる、と分かった途端、センチメンタルが甦る。
都合のいい自分が恥ずかしくなって、もう残された時間はわずかなのに、うまく話ができませんでした。
しかし不思議なもので、「おばけ」の話から、なぜか「文字化け」の話となり、幸運にも自然な形で、メアドを訊くチャンスがやってきたのでした。
「日本と違って一人に一つではなく、旅行社日本部のみんなで一つしかないので
すが、それでもいいですか」
と、教えてくれました。
末尾が .kp で終わるアドレスでした。
空港に着くやいなや車を飛び降りたファンさんは、昨夜ホテルで大騒ぎしていた選手たちを掻き分けて、空港の建物に走っていきました。フライトの変更は、テコンドー選手たちの一斉帰国による増便の為だったのでした。そして、ニコニコしたファンさんが搭乗券を持って帰ってきました。
ようやく、ホッ。
しかし、全て当局に管理されている北の旅は、出国審査も税関手続きも、搭乗券を貰うだけで終わり。
人間ドックで胃カメラを飲むように、慌ただしく空港に着くと、心の準備をする間もなく、いきなり別れの瞬間が来たのでした。
でも、きっと照れくさくなるだろうと、言葉の準備はしていました。
コラム初日に書きましたが、旅の間中、北のギャグに負けっぱなしだったので、最後に一発かましてやろうと考えて、
「ファンさんを、日本に拉致したいな」。
自己満足ですが、好き、と言った気になりたかったのです。
ファンさんが、塚ちゃんと握手し、山田さんとして、僕の番。
二言三言交わし、次の言葉を聞いたら、さあ、かますぞ!と待ち構えていたら、
回りくどい僕に、素直な言葉が、不意打ちのようでした。
ファンさん 「また会いましょうね」
今まで、たくさんの国で、数えきれない人たちに言われてきた、「see you again」。
でも、彼女に言われると、言葉とは逆に、本当はもう二度と会うことはないのだと、胸が詰まってしまったのでした。
そして、これからも彼女は、この国に生きていく。
個人ではどうしようもない国家や国際社会の思惑に翻弄され、戦争が起こらないとしても、早晩大きな価値観の変化に巻き込まれていくでしょう。
その将来は決して明るいものではありません。なのに目の前の、僕の次の言葉を待って見つめてくる彼女は、満面の笑顔。
ファンさんに、どんな運命が待っているのだろう・・・。
そう思うと、思いっきり抱きしめてあげたくなったのですが、
気づくと、既に、そうしていました。
平壌空港、周りには銃を持った兵士。
でも、それは言い訳。
けれど、ひょっとしたら、僕の片思い、というだけでは無かったかもしれないな、と思えるほどの時間が経って、
「せっかく間に合ったのに、飛行機が出発してしまいますよ」
の言葉で、離れたのでした。
メーテルのようにはできませんでしたが、映画版銀河鉄道999、そのラストシーンの優しく切ない音楽が聞こえていました。
平壌空港の建物は、レストランも免税店も何も無く、ファミレスほどの大きさしかありません。出国口から、もうタラップが見えています。
ファンさんの最後の言葉は、
「(中を指して)あそこで携帯電話を返してもらって下さい。ずっとここで見て
いますから、何か困ったら、大きな声で呼んで下さいね。」
大きな声で「ファンさーん!」と名前を呼びたかったけれど、困ったことは何も起こりませんでした。
ファンさんの方こそ、いつか何か困ったら、僕を大きな声で呼んでほしいな、そう思ったのでした。
2011年9月13日のことでした。
日本に帰ると、タイムリーなことに、10月に平壌で行われるW杯予選・日本対北朝鮮について、北朝鮮が日本人サポーターの受け入れを300人に制限したことが、大きなニュースとなっていました。
ムッとしました。旅行社日本部はあんなに頑張っているのに。
でも、日本からたくさん人が行くと、ファンさん喜ぶだろうな。
これを口実に、ファンさんにメールを書いてみました。
個人アドレスではないので、みんなに見られるし、当局の目にも触れる。配慮して書かなきゃと思っていたのですが、北の国で感じたことを正直に書くだけで、何ら問題の無い文章に仕上がりました。
しかし、趣旨はラブレター。締めの一文は、
「今度は柳京ホテルで、ファンさんと一緒の部屋に泊まりたいな、なんちゃっ
て」。
最後だけ当局に配慮して、なんちゃって、と付け加えておきました。
お忙しい所、長々と地味なノロケ話で恐縮なのですが、もう一日だけお付き合い頂けないでしょうか・・。明日こそ、何ゆえこんなことを一週間もかけて書いてきたのか、オチがつく、はず、なのです。ご勘弁下さい〜
その後、北の国から謎の返答が来たのです。