リレーコラムについて

両親

境祐介

金曜の朝8時54分。
徹夜で書いた
キャッチコピーを上司に提出。

コピーを出した相手は、
僕に新人賞を獲らせてくれた
局次長・部長
エグゼクティブクリエイティブディレクター
(長すぎて意味不明)で、
鬼と武士の魂を持つ、富田安則さんです。
こんな肩書なのに、38歳。
(うちの会社は、完全実力主義です。絶賛、人材募集中)

この前、その富田さんと深夜に
ジョナサンで打合せしていたら
「俺はもう、肩書もお金も、これ以上いらん」と
遠い目をしてました。

笑うしかありませんでした。

これ以上書くと怒られそうなので、
今日は、両親の話をしたいと思います。

福岡出身の父と松山出身の母。
大学入学で上京。
別の大学だったのですが、
友人の紹介から交際がスタートしたそうです。

母は、しばらくすると、ハワイに留学。
手紙を送りあって、交際を続けたとか。
相手からの返事が来る前に、また手紙を出す。
これが、40年前の話し。
今では、映画か小説の中でしか登場しないシーンですね。

身内自慢でアレですが、
父は、昔、田村正和に激似で、
小学校の父兄参観のとき、
女性の担任が
「境くんのお父さん、かっこいいわねぇ~」と
のび太そっくりだった僕に、
そっと耳打ちするほど。

そのシーンは、今もすごくリアルに覚えています。
でも、子供ながらに
母には話しませんでした。
こういう感覚って、人はいつ養うのか。
本能なのか、身につけるのか。
誰か詳しい人、教えてください。

親は、僕が高校生になっても
いつも一緒にお風呂に入るほど、
仲が良い夫婦でした。
そのせいか、
中学に上がるまで、親は一緒に
お風呂に入るのが当たり前だと思うほど。
家庭環境が与える影響って、パンパないです。

仲は良いのですが、
2人とも、すごい楽天家で
個人主義の人でした。

個人主義ってどういうことか。

小学生のとき、夕食を食べていると、
母がいきなり、
「明日から友達とオーストラリア旅行に行ってくる。
 お父さんと仲良くね。」といって、
2週間くらい帰ってこないのがざらにありました。

そんときは、家事を一切しない父も、
料理をつくってました。たいていチャーハンでしたが。

母は他人を一切気にしません。
中学生のとき、
友達みんなで祭りに行くと
PTAで仕方なく見回りをしていた母が
僕をみつけて
友人が周りに大勢いるのに
「ゆうすけー♡」といって、
背中に飛びつき、周りは大爆笑。
めっちゃ恥ずかしかったです。

父は父で、僕が小6のときに、
「俺、会社辞めて、独立するわ」といきなり宣言。
父はそのとき41歳。アパレル営業だったので、
「なにするの?」と聞くと、
「モノづくりがしたいから、
 マンションとか家の模型をつくる」と。

マンションのモデルルームや
大きな美術館に行くと
その建物の模型を見たことありませんか?

あれを商売にすると言い出したのです。

小学生の僕には、チンプンかんぷんでした。

今思えば、
よくそんな仕事があることに気づいたなという感じですが、
「いきなりはムリだから、
 そういうことをやっている人に弟子入りする」といって、
スーツ姿のイケメン親父が、いきなり私服姿のおっさんに変身しました。

子供ながらにすごい不安で。

母は、保険のおばちゃんだったので、
飢え死にはしないけど、
引越したばかりのこの家、
どうするんだろう、と。

母に、それでいいの?と聞いたら、
「○○(親父の名前)ちゃんが好きなことをしたらいい。
 だって、仕事、楽しくなさそうだもん。
 いざとなったらこの家を売ればいいんだし、どうにでもなるわよ」と
器がデカいのかアホなのか。われ関せず状態。

弟子入りから数か月。

「仕事は覚えたから、自分ひとりでやる」と、そこを退職。
家の一室が、いきなり職場に。

独立して始めのうちにつくっていたのは、
5万程度の模型。
小遣い稼ぎに、僕も手伝っていました。
カッターで切ったり、組み立てたり。
これが親父の仕事かぁと変な感じでした。

ただ、時間が経つにつれ、
5万だったのが、10万になり、10万だったのが、
50万になり、3年たてば、100万、200万が普通に。
気づけば事務所を借りて、人を雇ってました。
新聞広告用の
すごいデカいのだと
2000万とか。

そのレベルになると全て機械作業。
手でやることはありません。

高校生になると、
事務所に5,6人が働いており、
親父は徹夜ばかりしてました。

大学生のとき、
親父が珍しく酔って、
「俺がつくるのモノと周りがつくるのとは、
 大して差はない。
 独立して食えるようになってるのは、営業力だ。
 これから時代が進んで、
 世の中がどれだけ変わっても
 営業や交渉をするのは
 人にしかできない」
と、笑って話しました。

あれから15年。

親父は順風満帆にはいかず、
リーマンショックのあおりをうけ、
中国がこの業界に進出。

二つあった事務所はひとつに。

仕事を辞めることも考えたそうです。

この前久しぶりに会ったら
一人でほそぼそやってました。

すごく楽しそうでしたけど。

世の中は、確かに変わりました。

社会は営業力を
相変わらず必要としています。
これからの世の中がまだ求めるかは
いつか親父に聞いてみます。

富田さん、コピーの返事お待ちしています。
s_yusuke@r.recruit.co.jp まで。

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