リレーコラムについて

思い出「つくろう」考

木村亜希

バトンをいただきました関さんのコラム「元気は出せ。」を読んで、

「本来能動的なものが受動的になった例」の逆、
受動的であるべきものを能動的に言うようになっている
(ように私は感じてモヤモヤする)ものの話を。

思い出「つくろう」という呼びかけ。

「夜逃げでも控えている」のか?
「一度も告白しないまま卒業式を迎える」のか?
若いうちから、なぜそんな生き急ぎフラグを立てなければならんのか…。

思い出は、いつから「つくろう」と思ってつくるものになったんでしょう?
(サービスにお金を使わせるため、生まれた言い回しな気がしてならないですが)。

今は写真(や、うっかりすると動画)が残っている分、過去が反芻され、
忘れていたかもしれないことも「思い出」化するわけですが、
「なぜか忘れられないこと」「記録なんかしてなくても消せない思い出」のほうが、
強いんじゃないか、と思ったりするのです(美化し放題ですし)。

「生きてるうちに親をハワイに連れていく」
「中高生を京都奈良の社寺に参拝させる」
「セレナに乗せて子どもをキャンプ場に連れていく」
などといったイベントは誰かが企画しなければおこらないので
ぜひ能動的にやるべきなのですが、
そこで「思い出がつくれるように…」と思っていいのは主催者だけで
(「モノより思い出。」はこの「主催者側に刺さるコピー」だと思います)、
参加者が「さぁ思い出つくろう!」と発言するのは何か「ちょっと待てっ」感が。

思い出というのは誰かの期待にこたえて「つくる」ようなものではないので、
例えば「ハワイより、市民プールのほうが楽しかった!」と子どもに
言われたとしてもそれでいい(それがいい)のではないでしょうか。

まぁ、人生は壮大な「思い出づくり」ですし、

「カレシ、つくるぞー!」と誰かにアタック(←死語)して始まる恋愛よりも、
「気がついたら好きになってた」から始まる恋愛のほうが上等である、と
(別にそんなことはないはずなのに)個人的に思っている節があるので、
「思い出」についても近いことを感じるだけなのかも知れないな…と
このコラムを書きながら思いました(自己完結でスミマセン)。

プリクラや「サイン張」※も、今思えば思い出「つくろう」グッズでしたね…。

※卒業直前に、なぜか今までずっと一緒にいたクラスメートの
プロフィールをあらためて書いてもらうという小学生女子のコミュニケーション
(趣味等を聞くのはほんとは4月にやればいいのでは…と思うのですが、
その中に好きな人が含まれていたりいなかったりするからか、
クラス全員に書かせる)。今でもやっているのでしょうか。

画像:百人一首漫画「ちはやふる」20巻 65ページ
ちはやがクイーン戦予選をあきらめてまで選んだ修学旅行で、
「みちるちゃんと思い出作るんだ!!」と言うシーン
(「ちはやふる」は、個人で漫画夜話を開催したいくらい好きな漫画ですが、
 その話はまたいつか~)

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