リレーコラムについて

コトバチューズデー

蓬田智樹

———-昨日からつづきます

コトバは実はあくまでも「個人の所有物」で
誰かと誰かの持っているコトバは、数も中身もまったく違う。

そんな風に考えてみると、たとえ日本語に限ったとしても、
僕が運よく200年生きられたとしたって
一生出会わないコトバだってたくさんあることに気づかされる。

そして悲しいことに、
その出会わないコトバに関するあらゆる行為を
僕はすることができないのだ。

どういうことか。たとえば明日、
東京ドームに100人の老若男女を集めて言い放つ。
「さあ、カバディを開始してください。」
いったい何人の人がカバディできるだろう。

カバディするためには
カバディというコトバ自体を所有してないといけないし
カバディのルールやカバディにまつわるあらゆるコトバたちを
カバディしていないとカバディできないのだ。

甘酸っぱく下ネタに走るならば「初体験」なんかもそう。

10歳の頃の自分を思い出してみる。
山形のド田舎でひたすらカブトムシを捕まえることに
快感を覚えていた10歳の僕は
初体験というコトバも、そして
初体験にまつわるあらゆるコトバも持ち合わせていなかった。

でも、それ以降モノゴコロが芽生えはじめていく僕は
初体験に関係するあらゆるコトバたちをこの世界から血まなこでかき集め、
やがてそれを済ませることとなる。

そんな風に考えてみると、
生きることとはコトバを探すこと
と言い換えられるのかもしれません。

そして、小さい頃オトナからよく言われた
「本を読め。」という雑なディレクションも、
ああ、あれはコトバを集めろってことだったのだと、
すごく合点がいくのでした。

———-明日へつづきます

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