2010-12
方南町のゆったりと流れる空気の中で、僕らは2年を過ごした。
片道15kmの自転車通勤は、夏の午前中を汗を拭うだけの時間にした。
忘年会の帰り、井の頭公園でいいスピードで自転車をこぎながら居眠り運転をし、顔から落ちて死にかけた。
急性胃腸炎で生まれて初めて入院もした。
仕事は楽しかった。
SUPER SOXやSOQSといった思い出深い仕事がここで生まれた。
部屋の契約は2年で切れた。
僕らは新しいシカクを探した。
大久保兄弟は千葉、村尾は下高井戸、私は西東京。
4人が住んでいる場所はバラバラで、都心へ進出したい思いと通勤時間と家賃のバランスが取れなかった。
フォトグラファーの成田が加わって、広い場所も必要だった。
いくつかの物件を見た後、四谷から徒歩5分の場所にいい物件を見つけた。
これまでが安かっただけに少し値は張ったが、借りることにした。
また一軒家だった。
私の部屋は和室で、オフィスというより書斎だった。
昼食後はよく畳の上で眠った。
UACJやOne Thing by Munsingwearや「のもの」はここで考えた。
と言いたいが、寝てしまうのでだいたいスタバで書いた。
でも、ずっと四谷にいるつもりだった。
四谷での1年は、すごい早さで過ぎていった。
立ち止まる時間がないほど忙しかった。
足りないインプットを、過去のストックで補いながら、2012年の春が来た。
ゴールデンウィークが過ぎたころ、異変に気づいた。
食欲がなかった。
お腹のふくらみ以外が、ずいぶんとやせ細っていた。
神経芽腫(しんけいがしゅ)。
小児がんだった。
がんという病にはステージが1から4まであるという。
次男はもっとも進行しているステージ4だった。
生存率は20%だった。
ちょうど3人目の子がお腹にいた時だった。
また男の子だった。
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