心の城の中にある概念。
今日から、一週間、リレーコラムを書かせていただく、コピーライターの並河進です。
たけださとみさんから、バトンを渡されました。
広告だけじゃないことを自分はどうかたちにしているのか、たけださとみさんが知りたいことへの答えになるように精一杯書いてみます。
どうぞ、一週間、よろしくお願いします。
コラム1日目「心の城の中にある概念」
「大切なものを、いっそ手に入れずに、誰の手も届かないところに放してしまいたくなる」とか、「失われていくものの美しさ」とか、そういうことと、いまのビジネスのしくみの、相容れなさにいつも戸惑っている。
たとえば、昨晩、僕は、こんなECサイトの構想を妄想していた。
購入ボタンを押し、金額を払うと、そのモノが、自分の手に入る代わりに、宇宙に向かって射出される、というしくみのECサイトだ。
できれば、高級なジュエリーブランドがいい。
なんという美しさ。
もしも、こんなサイトがあったら、僕は、購入ボタンを押すたび、エクスタシーを感じるだろう。
日々、こういう構想というか、妄想をしていて、それを書きとめ、練り、様々な人に話に行き、走り回り、お金を集め、仲間を集め、構想や妄想の幾つかは当然カタチにならず、その幾つかが、なんとかカタチになる。言葉という表現になるときもあれば、プロジェクトやしくみ、チームというかたちになるときもある。小さなお金や大きなお金を生んだりする。
そんな日々を、かれこれ、10年以上続けている。
いつも、最初に、ある「概念」があるわけです。
このケースでいえば、「人は、本当に手に入れたいものを、その気持ちとは裏腹に、誰の手にも届かない場所に放ってしまいたいという欲求も持っている」という概念。
あるとき、こんなプレゼンをしたことがあります。
綺麗な教科書と、落書きがされた教科書と、二冊見せて、「どちらが完成度が高いと思いますか?」と。
「落書きをされた教科書のほうが実は完成度が高い、いや、落書きによって教科書は完成するともいえるんです」と。
これもひとつの概念、「汚くすることによって、完成度が上がるときもある」という概念。
こうした概念は、自分の心の城の中にあるもの。
サラリーマンだとしても、囚人だとしても、TCC会員だとしても、あまり変わりはなくて、僕らは、構造的には、100パーセント自由に生きるなんてことはできず、どこかに囚われてしまっているけれど、でも、心の中に生まれる概念は、自分だけのもの。
誰もそれを奪うことはできない。
誰もそれを評価し貶めたり持ち上げたりすることはできない。
この概念を持って、戦うしかない。
丸腰になって、丸裸になって、この概念ひとつを手に持って、すがすがしく旅をはじめるしかない。
実績とか、名声とか、賞とか、肩書きとか、そういうものは、とても脆いし、ときに自分の心を食い散らかす。
自分の足に絡みついた鎖のようなものにもなる。
でも、概念は別だ。
概念は、自分のものだ。
自分の心の中、その城の中を覗きこめば、常識や、はやりの表現、はやりのキーワードとは無関係な「本当はこういうことって素敵なんじゃないかな」という概念が、キラリと輝いている。
それを、傷つけないように、そっと取り出そう。埃をはらって、アイデアをいったん取り外し、いちばん無垢な概念部分だけを取り出そう。
いちばん無垢なそれは、何にでもなりうる、いわば分裂をはじめる前の細胞のようなもの。
言葉にも、広告にも、表現にも、チームにも、プロジェクトにも、しくみにも、経営にも、アクションにも、何にでもなれるもの。
今日、誰かに会って、まず、最初に話すべきなのは、昨日の打ち合わせの続きじゃない。
あなたの心の城の中にある「概念」を打ち明けよう。
「俺、ずっと思ってることがあって、それは・・・」とおもむろに話し始めよう。
絶対みんな聞いてくれるよ。聞いてくれなきゃ、二回言おう。それでも聞いてくれなきゃ、違う人に話せばいい。なんだったら、僕に連絡ください。
明日は、その概念を手にして、どんな旅をしていくか、ということについて書きます。
並河進
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