リレーコラムについて

広告のない国へ。(キューバ旅行記5)

原田朋

「これとかこのあたりのやつが、革命時代のものだね」と露店商が言った。軍服についていたと思わしき階級章や、ゲバラやカストロの肖像画のバッジ。となりには、ソ連の国旗や、日本がボイコットしたモスクワオリンピックのキャラクター「こぐまのミーシャ」のバッジまである。ここは首都ハバナの街中にあるアルマス広場。キューバを5泊6日で周遊するツアーの最終日がハバナ散策だった。地方の街でどのマーケットを探しても、同じような安っぽいブリキのプレートにゲバラや国旗を塗ったものしかない。でもこの広場で開かれている古本市には、革命時代のバッジをはじめ、読めないけど革命の理論書と思われる古本、そして古いポスターなど、風格のある品々が並んでいた。僕は念入りに品定めして、バッジをいくつか買った。考えてみれば、バッジは革命家のアイコンを流通させるメディアだったわけで、みんなが身につけられる強力な広告なんだな。

 キューバの地方都市を回ってから来た首都ハバナは、やはり他の都市とはまったく違う。230万人、キューバの人口の20%がここハバナに住んでいる。渋滞がちの街の道路を、ピンク色に塗られた60年代のオープンカーのアメリカ車で周った。美しい建物のならぶ都心から、少しさびれたようなマンションがならぶ郊外に出て、また海沿いの道をとおって都心へ。海岸沿いに、ひときわ新しく大きなビルディングが立っていて、巨大なアメリカの国旗がなびいていた。僕は運転手に「あれ何?」ときくと、答えは「アメリカ大使館。こないだ出来たんだ」。そういえば帰りの空港で、僕の前に並んでいたのはアメリカのパスポートを持った家族連れだった。でも、店でコーラを頼んでも、コカコーラは出てこない。ちょっと甘すぎるキューバ国産コーラの味が今はなつかしい。

 僕ら6人は途中で自由行動になってハバナを周ったのだが、ガイドのユニエが私用があって家にモノを取りにかえらなきゃいけないという。僕だけ彼のマンションにいっしょについて行った。マンションというより雑居ビルの一室が彼の家だった。玄関で待っていようかと思うと「トモ、入っていいよ」。ほんの1分ほどお邪魔してる間、キューバ人の生活はどんな感じなのだろうと部屋を見回してしまった。モノはピカピカに新しくはないけれど、コーヒーカップがならんだ戸棚、ちゃんと整頓された本棚に本がならんでいた。感覚的に言うと、1970年代の日本のマンションの中ってこんな感じだったかも。でもガイドの仕事は、高い能力を要求されるので、キューバ人の中でも良い仕事のはず。きっとあの部屋はキューバではいい部屋なのだろうな。

 一日ハバナを周って、夕方まず僕がツアーを抜けることになった。みんなは明日の朝もヘミングウェイの家に行くツアーがあったが、僕は明日の朝4時30分に空港について7時30分発のカナダトロント行きカナダエアに乗らなきゃいけない(アメリカへの直行便はまだない)。広場で、手帳にみんなのメールアドレスを書いてもらって、全員とハグして写真をとった。英語がへたな僕に気を使ってくれて、きっとジョークもわかりやすいのにしてくれて、楽しくすごせてくれた最高のメンバー。まったく見ず知らずの6人だけど一週間いっしょにいると別れがたい。だけどもう二度とこのメンバーで会うことはない。Good-byeを言ってふりむかずに僕は一眠りするためにホテルへと足早に向かった。そしてこの後朝4時に、呼んでおいたはずのタクシーが来なくて、玄関でExcuse me!と叫んでいると、起き出してくれたホテルのフロントマンが親切にも友達のタクシーを呼んでくれ、なんとか飛行機に間に合うという最後のドタバタに遭遇することになるのだが、それも今では良い思い出。

ありがとう、キューバ。

(写真は首都ハバナ)

次のコラムは、新人時代から畏友であり悪友である、博報堂のタカハシマコトくんです。

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