リレーコラムについて

独立顛末記その一<疾風篇>

蛭田瑞穂

サン・アドを辞めて、電通に移ったのはちょうど10年前の2007年。
「クリエイティブ局の人間はちょっととっつきにくいけど、そのうち慣れるよ」
と、初日に当時の局長から言われたとおり、
雰囲気はお世辞にもフレンドリーとは言い難く、僕は毎日尻の据わりの悪さを感じていた。

そんなある日、「昼メシどう?」と声をかけてくれた人がいた。
それが今回リレーコラムのバトンを渡してくれた松本巖さんだ。
巌さんのことは存じていたが、いわゆる「年鑑で見たことがある」状態。
話したことは一度もない。
それなのに、なぜか巖さんはサシで昼ごはんに誘ってくれた。

お昼をご一緒したあと、ほどなく僕は巌さんがCDを務める
淡麗グリーンラベルのチームに参加することになり、
さらにその数年後、巖さんが部長に昇格すると、「松本部」の初代部員となる。
そして2013年、巖さんが電通を退社。その4年後に僕が電通を退社する。
あとを追ったわけではないが、巖さんとは不思議なご縁を感じる。

去年の10月、ふたりで銀座の小料理屋に行った。
そこで初めて退社の意志を伝えると、巖さんは「いいなぁ」と言った。
「俺ももう一度独立してみたいよ(笑)」

先に独立した先輩が「がんばれよ」でもなく、「応援するよ」でもなく、
「いいなぁ」という言葉をかけてくれる。
それにまさる激励の言葉を僕はちょっと思いつかない。

NO
年月日
名前
5719 2024.07.12 吉兼啓介 短くても大丈夫
5718 2024.07.11 吉兼啓介 オールド・シネマ・パラダイス
5717 2024.07.10 吉兼啓介 チーウン・タイシー
5716 2024.07.09 吉兼啓介 吉兼睦子は静かに暮らしたい
5715 2024.07.08 吉兼啓介 いや、キャビンだよ!
  • 年  月から   年  月まで