リレーコラムについて

ナカハタ創業始末 

佐倉康彦

〜其の参〜 ダイアルMをまわせ

 「もう一度会社をつくろうと思うんだ…手伝わないか…」オヤジの抑え気
味の声が、ぼくの脳味噌、大脳上側頭回後部にあるウェルニッケ野あたりで
大音量のハウリングを起こしている。なかはたサンの言葉は、さらにつづい
た。
 ぼくは、軽い目眩を感じていた。同時に顔や頸が、かっと火照るようなホ
ットフラッシュ状態に陥った。それでもオヤジの、なかはたサンの言葉を一
言一句たりとも聞き漏らすまいと必死だった。たぶんそのときぼくは、オヤ
ジにはじめて出会った頃の、21歳の糞生意気なコゾーに戻っていた。
 仲畑広告制作所という場に憧れまくって、というより仲畑貴志というひと
に惹かれ倒して、広告のことなど露程も知らなかったぼくが、果たし合いの
ような、失礼極まりない難儀な手紙をオヤジに書き送ってから既に23年と
いう時間が経っていた。
 これまでオヤジとぼくは、一度も机を並べて仕事をしたことがない。にも
かかわらず同じ広告屋の同輩たちのなかには、仲畑広告制作所に所属してい
たと思い込んでいる者も多かった。「おまえは直系や」と、あらゆる場面で
なにくれとなく心を砕いてくれたなかはたサンの存在は、ぼくのこれまでの
広告屋としての道程のなかでどれほど大きなものだったかは、ぼくにしかわ
からないと思う。誰彼かまわずトーキョーのオヤジと公言し金魚の糞のよう
につきまとった日々。そのオヤジの言葉が、今、不惑過ぎたド阿呆の胸のあ
ちこちに染み込んでいく。
 「そういうことだから、ちょっと考えておいてくれ」そう言って席を立つ
オヤジの背中は、相変わらずでかくて凶暴だった。
 「さて、じゃあ献花でもしてくるか」クシャッと笑った横顔は、いつも通
りとてもチャーミングでかわいらしかった。
 「あ、偲ぶ会…まじ、忘れてました…」ぽそぽそと答えながら、ぼくはオ
ヤジの三歩後について偲ぶ会が開かれている2階大広間へと向かった。右手
と右足が同時にでてしまうような妙な歩き方で。
 そのあとの偲ぶ会のことは、じつはあまり憶えていない。多くの元同僚や
先輩たちと交わした言葉も、会に列席された女優さんの挨拶も、すべてがす
とんと抜け落ちていた。頭の中で何度も明滅しているのは“召集令状”の四文
字だけだった。
 会もお開きとなり、懐かしい顔たちが三々五々、会場をあとにしはじめた
ころ、知り合いの監督が1階のバーに誘ってきた。ぼくはそのときケータイ
を指先が白くなるほど強く握りしめていた。手汗で、掌中のモトローラーは
トイレで水没させたようにぐっしょりと濡れていた。とにかく“召集令状”の
ことを伝えなければならい男たちがいたからだ。ふと、会場入口の方を見や
ると、オヤジも大巨匠アートディレクターたちとどこかへ流れていくようだ
った。
 「先に行ってて、あとから顔出すから」誘ってくれた監督にそう伝えなが
らぼくは、ケータイのアドレス帳を開いた。頭文字Mの項をスクロールする。
番号を探す指先が少し痺れている。目当ての番号はすぐに見つかった。ケー
タイを強く押し当て過ぎて耳が痛い。繰り返される呼び出し音がもどかしい。
5、6度目のコールでラインが繋がる。心臓が口から飛び出しそうになる。
 「もしもし、Mです」
 その男の声を聞いた途端に、ぼくの口の中は、一気に渇いていった。 

                               つづく

NO
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