神様へのインタビュー
村上春樹×川上未映子には遠く及ばないけれど
HCCの30周年のときに
仲畑さんにインタビューをする機会をいただいた。
仲畑さんは敏感に僕が何を聞きたいかを察知して
言葉を与えてくれる。
なんとも贅沢な時間だった。
HCCの年鑑には全部掲載されていますが
ここですこしおすそわけ。
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髙崎/去年、HCCに呼んでいただいて。そのとき30周年という節目だったら、仲畑さんを呼んでも来てもらえるんじゃないかってふと思って。僕もあらためてお話を伺いたかったというのがありますが、そういう経緯があったんで責任をもって仲畑さんを捕獲してきました。僕にとってはやっぱり神様で。東京で会うときはだいたい照れてお酒のんでしまうのでみんなの前で思いっきり、僕の好きな仲畑さんをほじくれたらと。
仲畑/ほじくってください。
髙崎/正直に言うと、電通に入るまで広告のことをちゃんと考えたことはありませでした。でいざ配属されてどうしたもんかと悩んだときにいろんなものを読みあさって。そこで出会いました。大きな本にぎっちしり中畑さんの言葉がつまってて。ああ、面白い。ああ、こういう世界に自分は入ったのか。こりゃ凄いって。
だから初期は常に真似をしてました。できないんですけど。必死に真似したからなんか生まれたときのプリンティングみたいなもので。あ、そうだ。最初に脱線させてください。みなさんにぜひどこかで観ていただきたいんですが、NHKに「課外授業ようこそ先輩」という番組があります。いろんな人たちが母校の子どもたちに自分の仕事を教えるという番組なんですが、そこに先日仲畑さんが出られてて。すごい衝撃を受けました。
仲畑さん、覚えてらっしゃいますよね(笑)
仲畑/いやー、いい加減なことばっかり言ってるからね(笑)。
髙崎/腐ったトマトを子どもたちに見せて、それをなんとか褒めるように言うんです。子どもたちは「生き物がいっぱいなかにいそう」とか「動物のエサになる」とか「眠気も覚ますニオイ」とか「バツゲーム専用のトマト」とか色々言い出して。それからなんで腐ったトマトを褒めるのか。という話になって。「腐ってる」って言うとそこまでなんだけど、短所を長所に変えるというか、視点を変えるだけでここまでモノの価値が変わるという。それこそコピーだなあと思って。いい話ですよね。最初に忘れない様に脱線させてもらいました。
では、そんな仲畑さんが書いた僕の大好きなコピーたちです。
まっすぐの人間だから、よくぶつかる。
異常も、日々続くと、正常になる。
昨日は、何時間生きていましたか。
なんだ、ぜんぶ人間のせいじゃないか。
愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。
「人間は全員疲れているのだと」、仮定する。
生きるが勝ちだよ、だいじょうぶ。
タコなのよ、タコ。タコが言うのよ。
おしりだって、洗ってほしい。
にんげん、岩田のつもりです。
ケンカはやめた。だから、もう負けない。
目の付けどころがシャープでしょ。
髙崎/これは僕が影響を受けてる順、かもしれません。
仲畑/答えられるかどうかはわかんないけどさ。ただ逆にこのチョイスで髙崎がわかるよね。モノより人の方に行ってるじゃない。だから、そういう作家なんだよね。こういうことが成立するのは、モノの機能がオーバーフローして差別化がほぼない時代。それがだいたい60年代から70年代。それまでの広告は、いいか悪いかを言ってた。ところがどこの扇風機もよく回るし、どこの冷蔵庫もよく冷えるようになってきたときに、物理的な特性ではぜんぜん伝わらない。いいか悪いかではなく、好きか嫌いかでチョイスする時代になってきた。おそらく、まだモノの機能が力を持っている時代に僕がこんなコピー出したらクビになっただろうね。
髙崎/モノのことを言えと必ず言われますね。
仲畑/モノのことを言え。特性を言え。長所を言え。そういう時代を経て、好きになってもらうことでモノが売れる時代になった。それを今はブランディングだったりいろんな言い方に変えてるけど、本質的には一緒。その流れがあったから、こういうコピーライターが飯を食える時代になった。先輩はかわいそうだったね。モノにしがみついていて総倒れになった。もちろんモノをうまく言う表現もあるんだけどね。心とか人間のことを言うとどういうことが起こったかというと、映画や小説と同じになったわけ。映画や小説はお金払って時間を使ってドキドキしたり泣いたりする。そういう心を動かす表現形式に近づいた。だからコピーブームなんて起こった。
機能なんて言ってたらコピーブームなんて起こらないよね。
髙崎/そこに鉱脈があると気付いた瞬間ってありますか?もともと仲畑さんがそういうタイプで、仕事をしているうちに自分の引き出しにはまったのか、ここにあるぞって思ってやったのか。
仲畑/そんなに論理的ではなかったね。相手がうなずいてくれる。それは実感と共感って言ったりするよね。それを突き詰めていくとこうなったってことかな。
髙崎/相手っていうのは見ている人ですよね?クライアントじゃなくて。
仲畑/そう。それはもう受け手。ターゲットって言ったりするけどね。
髙崎/クライアントはわかってくれるんですか?
仲畑/それは個体差がある。なんとも言えないね。
髙崎/世に出したあとに響いて、クライアントがそういうことかって関係ができていくとか?
仲畑/いろんなケースがある。ほんとは社長うなずいてないけど、プロが言うことだから信用して出すしかない。出したら社会があるリアクションをする。で、やっぱりよかったと思うとか。そういうことは結構あるね。これはプランニングの話だけど、セゾンカードの永久不滅ポイントでおじいちゃんが大車輪やってるのあったでしょ?おじいちゃんがステテコを履いてるわけよ。でも、社長はステテコ嫌らしいのよ。スーツでネクタイ締めてやってくれって。僕はもう抵抗した。絶対だめ。そんなことやるならやめたほうがいいって。で、押し問答してもしょうがないってことでステテコでやって、爆発したわけ。そういうことがあって、社長と飲んだときに「おれはもうこれからなんにも言わない。仲畑さんの好きにやって。おれは間違ってた」って。その人最初はぜんぜんうなずいてなかったけど、歯噛み締めてやらせたらちゃんと効果があったから、プロはプロだって任せた。こういうタイプもいる。だけど、絶対スーツとネクタイって言い張る社長もいるよ。これはもうしょうがないね。クライアントは選べないから。その中でやるしかない。
髙崎/やらない、降りるっていうのはありますか?
仲畑/今まったくないよ。クライアントの言うこと聞きまくってるよ(笑)。
髙崎/でも、昔はありますよね?
仲畑/なんとも言えないけどね。でも、なんであんなに若いときツッパってたのかなって思う。ツッパっちゃだめじゃないのよ。そういう季節があってもいい。
髙崎/季節ですか?
仲畑/季節なんだよ、やっぱり。戒めですよ、「ケンカはやめた。だから、もう負けない。」とか、「まっすぐの人間だから、よくぶつかる。」とか、生理的に書いたやつで(笑)。だけど、若いときっていうのはある種の美しさを伴う潔さがあって、こだわってクライアントとケンカするってことは起こるし、それはそれで美学はあるんだけど、そうじゃなくても売れる広告をつくれるって60歳を超えてから気がついた。遅いんだけどね。
髙崎/若いころにケンカするっていうのは、自分の思い描く通りにいかないから、ってことではないんですよね?
仲畑/感じる心を持たないやつとは仕事をしたくねえってことだな。クライアントの言うことはいっくらでも聞くけど、
いちばん大事なところは絶対に触らせない。
そこまで向こうに媚びると、まったく伝わらないので。そこは死守すべき。でも、その大事なとこって、意外と向こうもわかってるよ。
髙崎/僕もよくケンカしちゃってました。そういう季節があって。ディテールはいいんですけど、それを許すと出来上がったときに絶対に腐る、と思う瞬間が時々あって。たぶんちょっと小心者なんです。思っている通りにつくってうまくいくかはわからないけど、ちゃんと悩んで覚悟をつくるのが大事だと思っていて。いろんな人が厨房に入ってきてみんなで包丁触りはじめると、絶対にその舵取りができなくなるから。味の責任をとりたくてケンカしちゃうんですね、きっと。
仲畑/もちろんそうだね。それとやっぱり、ある程度いいコピーライターでいけるような人って、みんなデリケートで小心ですよ。でなかったら感知できないじゃん。相手をどこまで思い至ることができるか。僕はそれがすべてだと思うよ。コピーライターの資質として重要だとよく言うんだけど、これは営業でもなんでも一緒で、これできる人はなんだってできる。
髙崎/仲畑さんは具体的な誰かに向けてコピーを考えることはあるんですか?
仲畑/それはないね。オリエンテーションで示されてるものがあるけど、シュートしない。たしかにシュートすればかっこいいんだけど、経験上、クライアントの言ってるまわりにまだターゲットがあると思ってるわけ。たとえば疲れてるお父さんに売るエナジードリンクを、いちばん疲れているであろう40代男性に売るようなターゲット論が出てくるけど、実は女性が20%くらい買ってくれたりする。そういう経験をいっぱいしてきた。ひとつのマーケットにバーンとシュートするのは表現としていちばんかっこいいし、切っ先の鋭い強いコピーにはなるんだけど、僕はそれだと不安で。
僕はコピーライターとしては狙撃型よりかいぼり型。
下からがーっと全部掬っちゃうやり方。打ち震えるようなひとつの心を狙うんじゃなくて、「だってそうじゃん」っていう実感と共感を掴みたいと思う。それはやっぱり届くし成功する。結局、「まっすぐの人間だから、よくぶつかる。」って当たり前だよコノヤローみたいなもんじゃない。「異常も、日々続くと、正常になる。」も当たり前。みんな、「だってそうじゃん」ってものばっかりなんだよ。脳科学の茂木健一郎くんが言ってる「アハ効果」も一緒だけど、受け手が言語化する前の思いをコピーで触って、「ああ、そうだ」って思わせたら、これはすごい勢いが出るね。むずかしいことだけど。
髙崎/そういうのって古くならないですよね。普遍に近づく。心って、江戸時代の人も大きく変わらないと思うんです。人は人を好きになるし、嫌いになるし。やっぱり、すごくいいなと思ったものって、今見てもいいなと思うんですよね。
仲畑/最近、こういう質問受けるの。「ネットができて、メディア特性が変わって、コピーも変わってくから大変ですね」って。ぜんぜん怖くないね。メディアがどんなに変わろうが、人間同じところで泣いてるし、同じところで笑ってる。いちばん根っこのところってほとんどブレがない。それを信用してちゃんと人間を見ていれば、メディアがどう変わろうがなんにも怖くない。
髙崎/むかしの歌聞いてもいいなって思うし、むかしの映画見てもいいなって思うし。時代を超えてやると思って書く必要はないけど、いいのができるとそうなっていくのかなと思いますね。「昨日は、何時間生きていましたか。」とか僕すごい好きで。こういうのはどんな角度から生まれてくるんですか?
仲畑/これはステージがいいよね。パルコなので、もうなにをやってもいい。パルコから発信するものが、「言えてるね」とか、「そうだそうだ」ってうなずけるとか、そういうものであればいい。それでどこまで強いものをつくるかってことをやってるだけ。
髙崎/逆に言うと、なにをやってもいいパルコっていうのは、そういう場をつくるのが大変ですよね。デパートや百貨店は、なにを言ってもいいっていう広告の土地が生まれているから、広告の文化が花咲くと思うんですけど、それがやっぱりすごいなって。ただ、ずっとやり続けないとその土地は痩せていきますよね。
仲畑/そうね。あるクオリティのものを発信し続けないと、受け手が裏切られたと思うよね。だからこういう鉱脈の持続でむずかしいのは、生理的にも内面的にも入っていくので、今度がっかり感が生まれるのが強いのよ。そこはちょっと危険な部分ではあるね。
髙崎/TCCとかで賞を獲って、そこそこ名前を覚えてもらえて、審査員になって。それで審査員になっていちばんうれしかったのは、みんなが憧れている仲畑さんみたいな人たちと一緒に審査で回れることだったんです。
一番最初のとき、実は仲畑さんのすぐ後ろをついてまわって、なにに投票するかとかずいぶん見てました。そのときに「人生ってまた書いてるよ、ケッ」ってもの凄い毒吐いてて。人生って単語を見つける度にケッケッケッって言ってて。それで帰ってすぐに、人生って単語は絶対にコピーで使ってはいけないという人生禁止令を自分に出したんです(笑)。安易に使うと、言えてる気になっちゃう。そこを書かなきゃいけないのに、人生って書いたら書けた気になっちゃうんですよね。
仲畑/言葉って時代の産物なので、大きい言葉がダメな時代がずいぶん続いた。だいたい80年代まんなかくらいまで大きい言葉は全くだめだった。そんなときに愛っていう言葉を原稿用紙に書いてるやつがいてサイテーだと思ったね。それからしばらくして、90年代入ったくらいに、佐倉の「愛だろ、愛っ。」が出た。あ、いけるんだって思った。ただ愛の用法は違うけどね。「愛だろ、愛っ。」って投げ出すように言っていて、湿度の高い愛とは違うんだけど、それでも愛という言葉がいけるんだとわかった。それがあったから、JR九州の「愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。」ができた。勇気という言葉も同じなんだけど、OKだとにらんだ。ちゃっかりしてるんだよそういうとこ(笑)。これはね、工夫。いろんな意味でどんどん衰えますよ。というか、年いくとどうでもいいことが多くなるんだよ。そういうときは、世の中でウケてるやつ見たらいいじゃない。世の中がOKって言ってるやつがわかるんだから。売れてるロックンロール、歌詞、演劇、映画、小説、そこにOKサインがいっぱいあるわけで、OKだというところで勝てばいい。そのまま真似するんじゃなくて、それをかぶせるんだな。すると、いけますね。だから自信がなかったらリサーチすればいい。
髙崎/まわりにいっぱい判例があるから。
仲畑/すべてが判例だね。姿も形も心も見えない人たちの心を奪おうとする人間はさ、パッと見てステージがこれだってわかるくらいじゃなきゃいけない。すると使う言葉も全部そこでできるし、使えない言葉はみんな捨てとけばいい。それだけ持っとけば、ど真ん中を狙える。
髙崎/仲畑さんってひとつの仕事でどのくらいのコピーを書きますか?
仲畑/最近はだめですよ。40、50代のころは、書くでしょ?それで横に置くとね、よーし、これを潰してやろうと思って書くわけ。これよりちょっといいなと思ったら横に置いて、よーし、今度はこれ潰してやろうって。それがどこまでできるかだったんだよ。結構しぶとくできたね。今なんてほんと速いよ。もうこれでいい、って感じ。それとズルさが身についてるから、つっかえ棒を入れる。ブリッジコピーをあちこちで入れる。ただ、TVCMつくるとき、絶対先企画考えたらいいコピー書けないよ。その企画を成立させるためのコピー書いちゃうから。それがブリッジコピーなんだけど。ブリッジコピーで爆発するコピーは絶対にできないね。こっちの都合のコピーだから。受け手の言葉じゃないんだよね。そんなもん刺さるわけない。いいコピー書こうと思ったら、プランニングする前に
傍若無人にコピー書いちゃう。とりあえず書いちゃう。それを今度はめれば、あるクオリティのコピーを入れられる。でも先に話をつくっちゃうと、その話を成立するための言葉になっちゃう。
髙崎/ああ、すごくわかります。反省も含めて。
仲畑/僕もすごい注意してる。企画おもしろく考えたら、コピーはほとんどうんこだからね。それで、ブリッジコピーで重要なのは語尾ね。語尾はなんとか「ですよ」「なのよ」「なのだ」「でっせ」「おま」いくらでもある。でも語尾はトーン&マナーの最たるもので、言葉のスピードや質量を決める。コピー書いたときに、この語尾は絶対なんとか「なのだ」って、断定だって自分がほんとうに思ったのなら、ものすごくノッてるときですよ。僕は今もうわからない。だからいくつか書いて、ちょっと2、3日見るしかないね。消去法でいくしかない。今日ここにあったコピーで語尾を変えたらよくなるやつもあるし、もちろんうんこになるやつのもあるけど、自分で変えてみればいいよ。かなり伝わる距離が変わる。
髙崎/それは選ぶほうが大変ですね。
仲畑/よく言うのは、コピーは「書く」じゃなくて「チョイス」。うちの若いもんのやつでも、清書したのより落書きみたいなの見ていくと、すごくいいのあるよ。「これ最高じゃん、チャーミングじゃん」って言うと、「あ、そうですね」って。自分で選べてないのよ。おそらく500個も書けばいいの絶対あるんだよね。だけどそれが選べてないな。
髙崎/自分のものを客観視するって、やっぱりむずかしいっていうか、訓練が必要ですよね。仲畑さんに「これいいじゃん」って言われたらものすごいいいなって思うし、なんでいいって言ってるのかを考えちゃうので、あ、そういうことか、ってわかると思うんですけど、ここにもうひとりの自分をつくって、書いたものを見せるっていうのはむずかしいですよね。
仲畑/そうだね。だからうんこみたいなCDの下ついてるコピーライターほんとかわいそうだと思う。いっぱいいるじゃない。
髙崎/仲畑さんにはうんこみたいな人が上にいたことはないんですか?
仲畑/別にいなかったね。
というか無視してたね。
(つづく。ここからあのコピーをどう書いたかという具体的な話になるのです)
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村上春樹と川上未映子のように
インタビューを何度か重ねて誰か本にしませんか。
『狼は夕暮れに吠える(仮)』みたいな感じで。