みんなのパラリンピック/1964の記憶篇 120秒 S:
みんなのパラリンピック
NA:
東京に出て来た最初の休日、
僕は初めての街を歩いていた。
大分にいる大切な友達との
約束を果たすために
その友達は、1964年の
パラリンピックの選手だった。
M:
♪〜(「明日があるさ」)
須崎勝巳:
これが開会式。
ここまで来るのが
大変だったんだよ。
障害者は外に出すないうんが
常識だったんだから。
NA:
病院で車椅子の
生活を続けていた須崎さんは、
リハビリの一環と勧められて、
陸上、水泳、
車椅子バスケットの
競技に出場した。
しかし結果は惨敗。
外国の選手たちは
鍛え上げられた正真正銘の
アスリートだった。
そして彼らは健常者と同じように
仕事に就いていた。
須崎勝巳:
夜は銀座に飲みに行ったりな、
とにかく明るくて自信に
溢れていたんだよ。
大分に帰るときに決めたんじゃ。
絶対仕事に就こうとな。
NA:
パラリンピックを機に、
障害者が働き、
自立する場である
太陽の家が生まれた。
須崎さんはそこで働き始めた。
須崎勝巳:
懐かしいなあ。
もう一度見てみたいなあ。
NA:
僕が見せてあげるよ、約束
伊藤健太郎:
おじいちゃん、ここだよ。
おじいちゃんがあの日走った場所。
思ったより小さいね。
須崎勝巳:
でも大きな場所だったんだよ。
おじいちゃんの人生は
全部そこから始まったんだ。
S:
歴史を知ることも
パラリンピックの応援です
NO.2020749
広告主 | 日本放送協会 |
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業種 | マスコミ・出版 |
媒体 | TVCM |
コピーライター | 渋谷三紀 |
掲載年度 | 2020年 |
掲載ページ | 670 |