あのセリフは、嘘じゃなかった。
ある日、目が覚めると、病院のベッドの上にいた。
周りには、心配そうな顔をした家族が立っていた。
「ここは、どこ?」
僕が尋ねると、母親と父親が疲れ切った様子で〇〇病院だよ。と教えてくれた。
僕にとってははじめての質問だったが、両親にとっては何十回目のやりとりだったらしい。
数分後、そんなことを忘れて、僕はもう一度訪ねていた。
「ここは、どこ?」
母はもう一度〇〇病院だよと教えてくれた。
なぜ家から遠い、聞いたこともない病院に僕はいるのだろう。
どうにも状況がつかめなかった。
小学校の授業中に何かあったのだろうか。と思っていた。
それにしても、なんだか体がいつもより大きい気がする。
やがて、兄が遅れて病院にやってきた。
僕の想像より少し大きい兄は、大丈夫か?と訪ねてきた。
そして、ゆっくりと、何度も説明されたところで、
ようやく自体を把握することができた。
僕は、記憶喪失だったのだ。
自分のことを小学生だと思っていたが、
どうやらもう中学2年生になっているらしい。
どうりで兄が、大きいわけだ。
数年間分の記憶が、すっぽり抜けていた。
クラスメイトもお見舞いに来てくれたが、
その時は、正直あまり誰だか分からなかった。
それもそうだ。小学生の僕にとって、
中学校のクラスメイトは未来の友達なのだから。
詳しいことは今でも分からないが、
どうやら、サッカーをしていた時に激しく接触、脳震盪になり、
そのまま救急車で運ばれたという。
「自分の名前は言えますか」
「この指は何本ですか」
そんなドラマみたいな質問をされ、お医者さんから説明された。
「検査をしたところ、頭に異常はありません。
今は混乱状態にあるだけで、一時的な健忘状態です。
記憶は数日もすれば、戻るかと思いますが、
戻らない部分もあるかもしれません。」
まるで、何かの物語のようだった。
自分が思う自分と、実際の自分が一致しない恐怖。
自分がわからない記憶の空白が存在している違和感。
なんだか色々なものが一度リセットされてしまった感覚。
しばらくして、本当に幸いなことに、記憶は徐々に戻ってきた。
もちろん今では、何の問題もない。
もし打ちどころが悪かったら…と想像するだけで、恐ろしい。
しかし、どうしても事故のことだけは、最後まで思い出すことができなかった。
思い出すことができないというより、
本当に自分の中には存在していないという不思議な体験なのだ。
確かなのは、目が覚めてからのことだけで
「ここは、どこ?」ってあのセリフを本当に言うんだと、自分に驚いたこと。
(私はだれ?とは言わなかった)
どんな風にぶつかったのか。
なぜ転倒したのか。
もはや、それを永遠に知ることはできない。
もしかしたら、サッカーで転倒したということすら、
家族や学校ぐるみの嘘の可能性だってある。
これが映画だったら、
実は本当の名前も違って、武道の達人だったというパターンかもしれない。
だから、今でも時々、考えることがある。
今あるこの小さい頃の記憶も、確かなものなのか。
思い出したつもりが、
実は想像でつくられた架空の記憶なんじゃないかと。
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