バトン
三年ほど前のある冬の日、その人は言いました。
いま、TCCのリレーコラム書いてるんだよね。
語尾が「だよね」だったか「だけどさー」だったか
そのような細かいことはすっかり忘れましたが、
けれど、その人は間違いなく「リレーコラム」と言いました。
TCCのリレーコラム。
私は動揺しました。それを悟られないように
グラスの水を慌てて飲みました。できるだけ無関心を装って、
しいて平板に、そうなんですか、と相槌を打ちました。
私にわざわざそれを言うということは、
バトンを渡されたに等しい。私はそう思いました。
とくに書きたいことがあったわけではありません。
けれど、リレーコラムのバトンが回ってこないということは
なんだか知り合いが少ない人のような気がして、
私は心のどこかでバトンを欲していたのです。
その夜、その人のコラムを覗きました。
マラソンと筋肉の話が書いてありました。
けれど、バトンについては何の言及もありません。
水曜日になっても木曜日になっても、
その人のコラムの中には「バトン」の文字が見当たりません。
私は焦りました。マラソンがどうとか筋肉がどうとか、
そんなことはどうでもいいのです。
週末になって急にバトンを渡されても困るのです。
金曜日。もちろん私は、
その人の最後のコラムを覗きに行きました。
英語の習得について書いてありました。
そのおしまいにこんな記述を見つけました。
バトン、あまちゃんに渡します。同じワイデンのコピーライターです。ぜんぜん事前承諾得てないですが、この前屋上ですれ違った時、コラム書いてるって話はしたのでたぶん受け取ってくれるはず。
コラム書いてるって話はされました。
けれど私は「あまちゃん」ではありませんし、
屋上ですれ違ってもいませんし、ワイデンにも所属していません。
私は面識のない「あまちゃん」に嫉妬しました。
あれから三年ほどの月日が経ちました。
その三年の間に、バトンが回ってくることはありませんでした。
けれど、いま、それは私の手にあります。
あの冬の日の空バトンではなく、正真正銘のバトンです。
今から、その人に、バトンを渡す電話をかけようと思う。