リレーコラムについて

ホンモノの凄み「中川氏」

小山田彰男

オタクという言葉で救われた人というのは、日本中にかなりの数いるのではないかと思う。
この言葉が普及する前のオタクは、もし公言したら社会からの抹殺も覚悟の上という、隠れキリシタンのような重みを背負っていた。

今では、「アイドルオタクで〜す、語り会いましょう!」とかキラキラしたオタクもいるが、以前はそんな人は皆無だった。キラキラとは程遠い黄土色と灰色の間、例えるなら、象の皮膚の色みたいな群に属していた。この言葉によって、コアであるオタクを含め、かなり周りの人まで包含されることになったので、隠れる必要がなくなったのだ。本当に救われたことだろう。言葉の持つ力はすごい。

オタクという言葉の黎明期に、私は中川英明くんに出会った。
彼は、オタクという漠とした言葉で括るにはあまりにもホンモノすぎた。

私は大いに興味を持った。その場にいた西橋佐知子さんもだ。西橋さんは学生時代からインディーズバンドの雑誌を作り編集に携わっていたから、インディーズロックオタクと言えるのかもしれないのだけれど、中川英明は、「本当に虐げられてきた人とは違う!」と強烈な違和感を口にした。

「じゃ、例えば、秋葉原でどんな会話するの?」

と問うと、

「ウヒョヒョヒョ、二次元の漫画、いや、ライトノベルに近いですかな。それは、中川氏の領域ですな〜」と言った話し方をするんです。
と再現された。

私と西橋さんはホンモノを目の当たりにして大いに高揚した。珍しい蛾や深海魚を見たような気持ちだった。
「もどき」ではないホンモノの凄みがそこにはあった。「リュウグウノツカイってこんなにでかいの!」みたいなリアル体験。

「氏って当たり前につけるんだぁ、そもそも、何?領域って!」だの、「いや〜、ホンモノはシズル感が違うね」だの。

「だから、話すのが嫌だったんです、あなた達みたいな人に軽々しくオタクという言葉を使って欲しくないんです。」
と中川氏は半ばキレていた。以後は、それに触れることはなく、ただ、自然と中川くんは「中川氏」と呼ばれるようになった。

このリレーコラムを引き継ぐにあたり、「自分と小山田さんが出会った頃の初々しい甘酢っぱい想い出とかありますよね、そういうのから引き継ぐのが慣例です」と言われたのだけれど、このエピソードしか思い出せなかった。

この話の後に、中川氏が入社直後から秀でた才能があったとか、仕事をしていて何度も助けられたなどとエピソードを続けても、もう響かないだろう。

中川氏はホンモノだ。それだけが伝わればいいと思っている。
中川氏の披露宴のスピーチでは、ここに触れるのは流石に遠慮したよ、今スッキリした。
(ジャック・ニコルソン事件と迷ったんだけどね)

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