リレーコラムについて

僕は映画を守りたかった +

栗田雅俊

中学2年の時に、生まれてはじめて映画を撮った。

 

親父のVHSビデオカメラを勝手に持ち出し、

監督・脚本・演出をひとりで手掛けた。

 

ストーリーは、

弱小野球チームに、助っ人がやってくることで

劇的な変化がおこるという本格野球モノ。

 

当時流行った映画『メジャーリーグ』まんまだったが、

大事なのは形ではなく中身だと思った。

 

出演者はクラスメートを集めた。

僕が見込んだ10人の精鋭たちに声をかけた。

 

撮影当日、5人しか来なかった。

 

映画を撮りたいのは僕だけだったので、

士気はとても低かった。

だが、5人も来てくれたのだ。逃げるわけにはいかない。

ピンチをチャンスに変えるのだ、と言い聞かせた。

 

みんなに、今日は僕のことを

「栗ちゃん」ではなく「監督」と呼んでくれと指示した。

遊びでやってほしくなかったのだ。

 

一番やる気のなさそうな野田を

エースピッチャーの役にした。

重要な役にしないと帰ってしまうと思ったからである。

 

貴重な5人のキャストは、

選手の役にとっておきたかったので、

”監督”の役は、7歳の妹に頼んだ。

監督なのに少女。逆に新しいと思った。

(人気漫画『黒子のバスケ』にも女生徒の監督が出てくるが、

20年前にこの映画が先駆けていたといえる)

 

編集というものが存在することさえ知らなかったので、

【録画】と【一時停止】を繰り返し、

頭から順にストーリーを撮っていった。

 

不安の船出だったが、始まると映画の力が発揮された。

「僕らは“映画”を撮っている」

人生初の事実に、みんなのテンションがあがった。

 

はじめての演技…

いつもは見せない顔…

若いチームワーク…

 

順調に撮影が進む中、

突然、事件が起こった。

 

キャッチャー役のホセイ(ガンダムのリュウ・ホセイに

似ていることからそう呼ばれていた)が、

「塾の時間だから帰る」と言い出したのである。

 

待ってくれ、こっちは順撮りだ。

ここでキャッチャーが急にいなくなると、

ストーリーの絵が繋がらなくなる。

クオリティにはこだわりたかった。

 

やむを得ない、

ホセイが自然に退場するようシナリオを変更した。

 

「ピッチャー野田の剛速球が直撃し、ホセイはショック死する」

 

本格野球映画が、

若干バイオレンス野球映画になってしまうが

他に方法が思いつかなかった。

 

死ぬといっても仕掛けなどないので、

ホセイは普通にミットで捕球した後、

いきなりコロリと倒れて死んだ。

シュールな絵だった。

 

監督としては、

ボールがホセイの顔面に直撃する等、

人として自然な死を目指したかったが

塾の時間が迫っていたため、

ワンテイクOKにせざるを得なかった。

 

代役としてショートの土屋くんを

キャッチャーにコンバートし、撮影は続行した。

ショートのいない極端な守備シフトになってしまうが

キャッチャーがいない守備シフトよりはましだった。

 

 

その矢先、次の事件が起こった。

 

「イランからの助っ人外国人」役を任され

見事に演じきっていた名和ちゃんが、

そんな自分に違和感を感じ

やっぱり日本人になりたい、とゴネだしたのだ。

 

まさかこんなところで

名和ちゃんのナショナリズムが目覚めるとは。

 

だが、イランからの助っ人

ということでだいぶ撮ってしまっている。

神社で熱くスカウトされるシーンはどうなる。

 

やむを得ず、野田の剛速球で殺すことにした。

 

しかし、さすがに進行の限界も感じていた。

すでに2人も死人がでている。

 

気をよくしていたのは、

殺人剛速球を持つマーダー野田だけで、

完全に飽きはじめた他の出演者たちは、

ヤモリを捕まえてはしゃいでいる始末。

 

「監督~、人足りんのやし、

このヤモリ、メンバーに入れたら?」

「いいやんか、6番~ライト~ヤモリ~」

「ぎゃはははは」

「わははははは」

 

「いいかげんにしろよ!!!!」

僕は叫んだ。

 

5人しかいない野球はあるかもしれない。

7歳が監督の野球はあるかもしれない。

剛速球で人が死ぬ野球はあるかもしれない。

 

しかしヤモリが6番ライトというのは、

それはもう野球ではない。

映画人としてのプライドが許さなかった。

 

ものをつくるということは、

いろんな現実が襲ってくるということだ。

いろんな変化を受け入れるということだ。

 

けれどもどんなにギリギリの状況下でも、

最後の一線は守らねばならない。

譲れないものに、嘘をついてはいけない。

 

そして、たとえどんなに予定と違っても

心を折らさずちゃんと完成させなければいけない。

 

映画は、

14歳の僕に大切なことを教えてくれたのだった。

 

 

こうしてできあがった

僕の初監督映画のVHSテープは

実家の本棚に今も眠っている。

 

ヤモリがライトを守ったあたりで

飽きて終わっている。

 

 

おわり

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すいません、実は上記の文章は、

10年前に私が書いたリレーコラムです。

 

10年前の自分のコラムを

この10年間で培った文章技術で推敲したら。

という実験として、書き直しにチャレンジしてみました。

 

ところが思ったより

いい感じの書き直しのアイデアがぜんぜん思いつかず、

企画の大失敗と、

この10年で培った文章技術の皆無さを

痛感する結果となりました。

 

次にコラムが回ってきたときこそは

その間に培った技術でもっとよくしたいと思います。

 

 

これで私のコラムの当番は終わりとなります。

吉兼さん→権八さん→麻生さんというCMプランナーの流れのアンカー、

というフリを頂いて受け取った重いバトンなので

責任を持って5回ぶん投稿すると決めていました。

 

ただ、言い訳をするわけではないですが、

担当期間中に

終日撮影が2日もあり、大変厳しい状況にあり、

結果としてではありますが

ついに過去素材を使い回すという形になってしまいました。

大変申し訳ありません。

 

ただ、言い訳をするわけではないですが、撮影が2日もあったのです。

それも、終日だったのです…

 

 

つぎのバトンは、

姉川伊織くんにお願いしました。

 

私が所属する会社では、

新人コピーライターは

メンターと呼ばれる先輩社員の下について基礎を学ぶのですが、

姉川くんは、私の元についた新人でした。

 

私は特に何も教えてないのですが、

彼はぐんぐんと育ち、

近年はいろんなところで大活躍ですので

コラムにも乞うご期待、であります。

ということでよろしくお願いします!

 

ありがとうございました。

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