リレーコラムについて

最初にリレーコラムを書いた男

境治

みなさん、お久しぶりです。今週のリレーコラムに先週の鶴田茂高さんから指名された境治といいます。

お久しぶり、と書いたのは、リレーコラムに書くのがかなーり久しぶりだから。前回書いたのは1999年でした。22年前の8月3日。それは記念すべきリレーコラム第一回でもありました。そう、私がこのリレーコラムを始めた人です。22年も続くなんて素晴らしい!

もっと言うと、何を隠そう、私がTCCのホームページを立ち上げた人間でした。今回はせっかくだからその時のことを書きますね。

私は1992年に新人賞を取ってTCCに入会しました。うわ、もう30年近く前かあ。

入会したものの、何をする団体なのかよくわからなかった。審査委員も幹事会も、神様のように思っていた大先輩方がやってることで、自分のような下々の会員が関わるようなものではないと思っていました。

入会から数年経って、TCCの何かの集まりで梅本洋一さんにお会いしました。宣伝会議のコピーライター養成講座で教わった師匠です。お若い皆さんはご存知ないと思いますが、80年代、フリーランスやプロダクションのコピーライターの先輩たちが輝いていた、その中の一人です。私は当然、尊敬していました。残念なことに2013年に亡くなりました。

その尊敬する梅本洋一師匠に久しぶりにお会いしたら「境、幹事会に入れよ。これからの幹事会はお前たちの世代が支えていかなくちゃ」と言うのです。ええー?!幹事会に?こんな下々の自分が幹事になっていいんですか?

尻込みしましたが、師匠に言われたら断れない。気後れしつつ幹事に立候補して幹事会に出席しました。当時の事務局は赤坂のマンションの一室で大きなテーブルがありましたが、そこに他の幹事の皆さんが座っています。一人一人が神様です。ああー、あのコピーを書いた神様が!うわ、あの作品を作った神様が!梅本さんと同じくらいまぶしい先輩たちがそのテーブルに座っています。

ここに神様と並んで座るなんて、と思いつつおずおずと席につきました。今もそうだと思いますが、幹事はどこかの部に入ることになります。なんとなく研究部を選びました。緊張しましたが、コピーライターという人種はフラットで分け隔てがありません。若いもんを若造扱いなどせず、対等に扱ってくれてくださることに感謝しながら、徐々になじんでいきました。

研究部は新しいことに取り組むのだそうです。だったらと、結局は図々しく生意気な私は手を上げました。「TCCのホームページを作るのはどうでしょう」

当時は90年代後半。新し物好きの私は安いけどMacを買っていてコピー案や企画書をMacで作って好みのフォントで出力して会議に持っていっていました。インターネットも、当時はシャーーーーピーーー!とノイズが鳴った後につながるモデム経由で接続していました。

クラリスのホームページ作成ソフトで自分の事務所のページを作ったりしていたので、やろうと思えば予算なしで自分で作れる。そう思って提案しました。

TCCホームページ作成は、研究部からの提案として幹事会にかけられました。ドキドキしながら簡単にプレゼン。神様たちが「TCCにもそういうの必要だよねえ」と言ってくれて、まずは作ってみなさい、よかったら本格的に立ち上げよう、と決まったのです。

最初はほぼ私が一人で作りました。小学生が何でもできると思って結構いろんなことにトライするように、私も無邪気に作りました。何がコンテンツだったのかは覚えてませんが、TCCについて調べたい人が来たら何かわかる程度のものだったと思います。

一年ほど経って、幹事会に今度は「より充実したホームページを本格的に立ち上げたい。予算も欲しい」と、あれだけ気後れしていたくせに、いけしゃあしゃあと提案。でもこれも、幹事会の皆さんが「どんどんやりなさい」と承認し、応援してくれました。

予算もつけてもらえたので、本格立ち上げに向けてメンバーを集めることにしました。

はい、ここで今回は終了。なにしろ月曜日から始めるべきところ、火曜日の夜になって書いているので、明日2回分書こうと思います。続きはそこで。ではおやすみなさい!

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