死なない人
広告屋をめざして運良く大広に入り、
希望とは裏腹に営業に配属。
5年後、周りの人のおかげで制作職に異動させてもらったものの、
気づけば9年。コピーも企画も、ちっともわからないまま、
いつもふりだしに戻ってばかり。
わかったのは、近道などなく、ラクになることもない、
ということくらい。
まだまだ道半ばではありますが、
この仕事をしていてよかったと思えたのは、
志村けんさんと仕事ができたことだ。
千鳥の大悟さん曰く、
「あの人のことを、人生で一度は、めちゃくちゃ大好きだったことがある、
そういう人がいっぱいおるのよ」
間違いなく、私もその一人だ。
遡ること4年半。それはTVCMの仕事だった。
撮影当日。
目の前に、志村さんがいる!志村さんが!
(曲がりなりにも)自分の企画したCMに!出てくださる!
生でアイーンをやってくださる!
自分が書いたラジオ原稿も読んでくださる!
これは仕事だ。絶対に浮かれてはいけない。
けれど当然、浮かれた。浮かれまくっていた。神様に会えたのだから。
CMは、志村さんが若い女性たちの後ろから突然現れる、というもの
(監督流の、志村うしろうしろに対するアンサー) だった。
志村さん登場シーンの顔芸は、ご本人おまかせ。
テイク1。
完璧な顔で現れる志村さん。
なにこの顔。おもしろすぎる。
思い出すのは、高校時代。友人家族がオーストラリアからの留学生を
ホームステイさせていたのだが、その留学生が日本のテレビ番組で
唯一笑っていたのがバカ殿だったと。
それまで慣れない異国の地で不安そうにしていたオーストラリア人が、
気が狂ったように笑ったそうな。
正直なことを言うと。
大人になって、ずいぶんと志村さんの笑いとは
遠いところのお笑いが好きになっていた。けれど。
あの撮影の日、私は、神様の顔芸ひとつで、心から笑った。
かつてのオーストラリア人のように、言語を超えて、純粋に、笑った。
ラストカットは、だっふんだ。
CD、音楽屋さん、プロデューサー、そして私がエキストラで志村さんの
後ろに入ることになっていた。志村さんコントによく出てくる、町の人だ。
草野球帰りの人、警察官、出前のそば屋。私の役は、親から授かった
「ひとみ」の名に恥じないよう、お婆さんだ。
目の前に、志村さんの背中。
昔の自分にタイムマシンで会いに行って自慢したい。
ラジオの収録部屋に、灰皿とタバコがしっかり用意された
(前室でもなく、収録部屋です)のも、後にも先にも志村さんだけだ。
インタビュー撮影。
私は、幸運にも聞き手役をさせてもらえた。
自己紹介がわりに伝えた。
保育園のとき。
『志村けんのだいじょうぶだぁ』の「ウンジャラゲ体操」を完コピして
いつも踊っていた。おかげで集団生活にとけこめたこと。
大学生のとき。
『全員集合』のDVDボックスが発売されて、買ったこと。
購入特典のハッピの色(どれが当たるかお楽しみ)は、オレンジ。志村さんの色だった。
舞台の上とは打って変わって、静かに微笑む志村さん。
そしてぽつりと言ったのだ。
「それであなた今おいくつ?」
「32です。」
「ああ〜、残念だねえ。」
世の中的にはダメかもしれないけれど、
めちゃくちゃうれしい!
何度も繰り返し思い出す、忘れないように。
あの声、表情、存在感。
訃報を聞いたのは、妊娠2ヶ月を過ぎた早朝。
トイレに入っていた私に夫が慌てて声を掛けてきた。
「おい!志村さんが……」
声音ですべてを悟った私は絶叫した。
嗚咽と涙が止まらなかった。
嘘だ嘘だ嘘だ。
絶対戻って来る。コロナって大したことないんでしょ?
インフルエンザみたいなもんなんでしょ?
そう思っていた。思っていたのに。あんまりだ。
2019年に夫と行った志村魂の映像を、何度も自分の脳内で再生した。
隣の席の人が私に放った3発のおならも含めて。
まさか、あれが最後の志村魂になるなんて。
嘘だ嘘だ嘘だ。
しかし、ある時から、まるでスイッチが入ったように、
私の頭が切り替わった。
志村サンハ、死ンデナイ。
自分の頭のコンピューターを、そう書き換えたのだ。
おかげで、志村さんはずっと生き続けている。
追悼のニュースを見ても、
なーに言ってんのかなあと、思ってしまう。
世間が落ち込んでいる中で、唯一、正しい情報を届けている人がいた。
フジテレビの特番で高木ブー(敬称略)が最後に放った言葉。
「わかった。あのね、志村は死なないの。」
なんだ、やっぱりそうだった。
亡くなったなんて、世間はとんだ勘違いだ。
さすが高木ブー。
わが家にあるバカ殿の目覚まし時計。
起床時間になると、アイーンと言う。
スイッチを押さないでいると、
だんだんアイーンが早くなって、超高速の連続アイーンが聞ける。
スイッチを押すと「怒っちゃやーよ!」
ほら、ここにも志村さん生きてんじゃん。
枕元に置いていたそれは、
現在、わが家の床の間の、一番良い場所に置かれ
止まることなく、時を刻み続けている。
私は現在、育児休業中。
復帰後、ちゃんと働けるのか。
自分や子どもに誇れるような仕事をできるかどうか。
正直今は何も考えられない。
ただ、志村さんのようにたくさんの人は無理でも
2,3人でも、自分が誰かの死なない人になれるような、
そういう生き方を、したいと思う。
ありがとうございました。
もしも世界の片隅で、このコラムを読んでくださった方がいらしたら、
いつかどこかで会いたいです。
次のバトンは、新人賞同期の高橋尚睦さんにお渡しします。
高橋さん、ひとことも話したこともないのに、いきなりの無茶ぶりすみません。
ただ、高橋さんの名前は『ブレーン』で、昨年よく拝見していました。
グラフィック一枚で勝負している広告、いいなあ。誰が書いているのだろう。
へえええ。CDでコピーも全部書いているのかあ。
え、しかも読広さんじゃないか。電博とか関係なく、
がんばっている人がいるんだよなあ。ああ、自分もがんばろう。
と思っていました。いぶし銀の、ザ・コピーライター、憧れます。