リレーコラムについて

父の背中2

鈴木智也

15年前の夏。

ボクは静岡の高校に通いながら、

九州の大学を受験しようとしていた。

 

難しい顔をした父に呼ばれる。

「お前、本気で九州なんかに行きたいのか?」

「本気だよ!」

滑り止めですとは、口が裂けても言えなかった。

 

当時のボクは、

静岡〜九州 間を、東京〜品川 間くらいに考えていた。

無知のなんと恐ろしいことか。

 

もちろん現地で受験しなければならないので、

父も急遽会社を休み、九州まで同行してくれることになった。

ボクは関東すら出たことがなかった。

 

筆記試験と面接試験は、二日連続で博多のキャンパスで行われる。

親子ふたり、男同士の3泊4日、九州博多の旅だ。

 

「お前に何かあったら困るから、ガイドしてやる」

前とはうってかわって、なぜか父は息巻いていた。

 

飛行機で九州に降り立つと、

『山笠』という大きな祭りを一週間後に控えた博多の街は、

静岡と比べ物にならないくらいの熱気だった。

どこからか祇園太鼓が聞こえてくるほどだ。

九州の持つ土地のエネルギーに圧倒される。

 

ガイドブックも見ずに父が言った。

「筆記試験の前に、お参りでも行くか」

 

そうか、学問の神様【太宰府天満宮】とは、目と鼻の先だ。

ひとりで来ていたら、そんなことすら知らずに

今頃ホテルに缶詰だっただろう。

横に立つ父が、なんだか頼もしい救世主に見えた。

 

1日目の筆記試験が終わり、

残すは翌日の面接試験となった。

しかしここから、雲行きがすこしずつ怪しくなっていく。

 

ケータイを覗き込み、父が言った。

「面接試験の前に、芋焼酎で景気付けするか」

「…え?」

お参りでも行くか。そんなノリだった。

 

太宰府天満宮はいい。でも芋焼酎はまずいだろう。

無知なボクでも、それくらい察しはついた。

「あした…面接なんだけど…」

「だから、会社の先輩が、黒豚しゃぶしゃぶの店で待ってんだよ」

だからの使い方がおかしい。

ロジックが完全に破綻していた。

傍若無人なクリエイティブディレクターのような顔だった。

 

豚しゃぶの店に入ると、

そこにはふたりの、人懐っこそうな男たちが待っていた。

聞けば、九州に転勤になった、父が若い頃の上司たちだという。

 

「いや〜ヤスヨシ!久しぶりやな〜!」

父も調子を合わせる。

「センパイ久しぶりっすね〜!九州最高っすね〜!俺もこっち転勤したいすわ〜! 」

父はへりくだるのも、お酌をするのも上手かった。

ボクも一緒になって、愛想笑いを繰り返した。

失礼があっちゃいけないと思った。

 

ビールが運ばれてきてからおよそ15分後には、

もうただの飲み会と化していた。

ボクの受験の壮行会、という名目だったはずだが、

大学受験の前日に飲酒しているさせている、という危機感は、

お互い、とうに無くなっていた。

 

黒豚もめんたいこも芋焼酎も、ぜんぶが美味しいのだ。

これが九州の力というものか。

デキあがるのは、自然な流れと言ってよかった。

 

テーブルの芋焼酎が、水割りからお湯割りに変わった頃だ。

上司のひとりが、すでに逸脱しかけている父を、完全に脱線させた。

父の耳元でこうつぶやいたのだ。

「ヤス、いい店があんだよ」

いいオンナがいる、というニュアンスだった。

 

父の顔色がサッと変わった。

もう、しゃぶしゃぶどころではなくなっていた。

「…よし、明日も試験だから、今日はこれくらいで」

含みを持った不自然なタイミングで、

ボクの壮行会は打ち切りになった。

 

店を出て、ボクをホテルに送る父たちは

おっぱい談義に花を咲かせながら、千鳥足で楽しそうに歩いている。

 

酔いは一瞬で冷めていた。

そもそもアルコールが受験の景気づけになるはずがない。

 

「今日は…早く…寝ろよ!」

呂律の怪しい父はそう言い残し、

湿気を含んだ夜の中洲へと、足早に消えていった。

 

どこからともなく、博多の空から山笠の祇園太鼓と掛け声がきこえてくる。

おっしょい!おっしょい!

おっしょい!おっしょい!

 

いや違う。耳をすませる。

これは徒党を組んでキャバクラへと闊歩する3人の男たちの声だ。

おっぱい!おっぱい!

おっぱい!おっぱい!

 

その日の父の背中には、はっきりと

「臨機応変に生きろ」という極意が書いてあった。

 

(つづく)

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