リレーコラムについて

直史さんのこと

三島邦彦

五島列島なかむらただし社の中村直史さんからバトンを受けました、

コピーライターの三島邦彦と申します。

 

読みましたか、先週のコラム。

(まだ読んでいないという方はすぐにこのページの下の方にある「風景のオリエン」から「追伸」に至る一連のコラムを読んでください。読み終えたら今日はもうそれだけで十分に善き一日ですので、戻ってこなくても大丈夫です。)

競合プレゼンをやらない理由について書かれた「震えながら胸を張る」は、僕らにとってとても重要な文章だと思います。コピーライターに限らず一人でも多くの人に読んでほしい文章です。

競合プレゼンというのは本当に悩ましいものです。コピーライターになりたての頃にとある先輩から「競合プレゼンというのは、ツマラナイ案で勝ってしまうか、ツマラナイ案に負けてしまうかのどっちかなんだよ。」と言われたことを思い出しました。

やる以上は負けたくない。でもツマラナイ案で勝ちたくはない。でも負けてもいいなんて甘いことも言っていられない。という想念の渦をぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回り続け溺れていく。その企業や商品のためになるかどうかから、勝てるかどうかに論点がずれていく。勝つためにはしょうがないとあれこれ妥協したのにも関わらず負けて絶望し、オンエアでこんなものに負けてしまったのかと絶望する。勝ち続けることもあれば、負け続けることもある。その原因はよくわからない。果たして勝者は存在するのだろうか。競合プレゼンに勝つということは、何かに負けているということではないか。そんなことにまで思いが至る。それが競合プレゼンなのだと思います。

Facebookに直史さんが「3人のクリエーティブディレクターに面談をすればそれで事足りると思う」ということを書いていました。本当にその通りだと思います。逆にいえば、フルパッケージの提案であっても結局はそのくらいの情報量で判断されているような気もします。コンテを読むのは技術や経験が必要です。そのためにビデオコンテを用意したりすることがサービスとして生まれ、今では前提条件になったりしている(それによってさまざまな負担が増えている)。それでもやはり、縁があるかないか、それがすべてなのではないかと。

 

クライアントにとっても、営業にとっても、競合というのはとても便利なシステムなのだと思います。それは想像に難くない。だからその分、制作者にとっては苛烈なシステムです。

 

もし、広告制作者にとって競合プレゼンにいいところがあるとすれば、ジャイアントキリングが起こること。この一点につきます。実績がまだない者たちが案の力で勝つことが起こりうる場所。競合だから案をたくさん出さないといけないという理由で拾われた若者の案がクライアントに採用される機会。その場合には、おもしろい案が勝つことがありうる。

しかし、そうしたことが起きるのは、とても目利きのクライアントか、任せる度量のあるクライアントに限られるのだと思います。自分たちが大事にしたいことと、プロに期待すること、その境目を熟知した人々がいるクライアントに。あるいは、いいものはいいという澄んだ瞳を持ったクライアントに。

 

この世にはいい競合と悪い競合がある。そしていい競合は多くはない。

それでも競合はある。誰かが今日も戦っている。血や涙やお金やいろんなものを流している。

 

・・・すみません。僕は何を書いているのでしょうか。

 

競合についてではなく、中村直史さんからかつて言われた言葉について書こうと思っていたのでした。

 

中村直史さんはもともと会社の先輩でした。さらにいうと、大学生の時に通った電通クリエーティブ塾の講師でもありました。初めて会った時から今に至るまで、見た目が驚くほど変わっていません。人格も、何もかもが完成されていました。

 

僕がコピーライターになって数年目のあるとき、直史さんが仕事に入れてくださり二人だけの打ち合わせにコピーをたくさん書いて持っていきました。それを直史さんは丁寧に見てくださり、いくつかのコピーについて、これはこうしたらいいかもとアドバイスをくださりました。それはどれも本当にそうだなと思うもので、一言も漏らさぬようにメモを取りました。

 

次の打ち合わせで、前回のアドバイスをそのまま反映したものを持って直史さんに差し出したとき、「三島、いいか。」と直史さんは言いました。

 

「すべてのものは、そうであって、そうでないんだよ。」と。

 

先輩から言われた通りのことをやらなくてもいい。すべてを鵜呑みにする必要はない。むしろ鵜呑みにしてはいけない。先輩の言うことを信じすぎてはいけない。それよりも自分の考えというものを大事にした方がいい。自分なりに考えなくては意味がない。と。

 

当時、先輩たちの言うことが絶対であると信じきっていた中でその言葉は衝撃とともに記憶されました。目を開かされた、と言ってもいいかもしれません。

 

「すべてのものは、そうであって、そうでない」

 

今も折にふれてこの言葉を思い出します。

この言葉をつぶやくと、念仏やお題目に似た効果を得られます。

無理難題や無茶なフィードバックに対しても穏やかな心で対処することができます。

「すべてのものは、そうであって、そうでない」
このことを、先輩たちに振り回される若きコピーライターたちにお知らせしたいと思います。

最近、いろんなジャンルの本を読むのですが、そのどれもが同じことを言っているように思います。
それは「すべてのものは、そうであって、そうでない」ということ。

東洋哲学も量子力学もたどりつくところは、「すべてのものは、そうであって、そうでない」なのだな、
と思う今日この頃なのですが、それはまた別のお話。

 

 

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