表現
今日は吉岡さんと佐々木と浅草に行きました。
寄席とかヨシカミとか行ったりして最高でした。
道中、ふらっと射的場をひやかしまして
もっとも多く景品を手に入れた人が
ゴルゴだから勝ちねっつって
100円をかけて勝負したんですけど、
一人5発、三人で合計15発で
僕がガムパッチンをゲットして勝利しました。
このガムパッチンが本当にやばくてですね、、、
ガムパッチンて知っていますか?
いたずらするためのオモチャでして、
ロッテのミントガムみたいな風貌で、
ガム取ろうとするとそれがトラップで
指に痛みを生じさせる物体です。
40年ぶりくらいで
このガムパッチンに触れたんですが
結論から書きますが
最悪なおもちゃに成り下がってました。
というのも、本来は
トラップに引っかかったやつの指を
痛くしてしかるべきの「パッチン部分」が
ふんわりした包装材に包まれているからです。
まったく痛くないんですね。
僕が知ってるガムパッチンは
パッチン部分が金属むきだし、
暴力の権化みたいな感じで
トラップにひっかかったやつは泣き叫んでました。
「ガム食う?」
「おう、サンキュ」
“バチーン!!”
「いてぇー、いてぇよー」
「HAHAHAひっかかったな」
「ちきしょう、お前とは絶交だ」レベルの、
育て上げた人間関係に終止符を打つほどの
凶悪なおもちゃでした。
それが今ではマシュマロみたいな、
リラックマみたいな優しさに包まれまくっており、
万が一にも絶交は起こり得ない構造に
改造、いや改悪されておりました。
実際、佐々木にガムパッチンしたところ、
「え?あ・・・え?なんですかコレ?」みたいな
どうしようもない反応してました。
まったく痛くないからです。
僕がすべったみたいな形になってました。
ガムパッチンには「現代」が表れている。
僕はそう思うのです。
指が痛かった、どうしてくれるんだ。
子どもがケガしたらどうするんですか。
友人と仲違いした、責任を取れ。
このようなおもちゃを作るだなんて
どういった了見なのだ、責任者を出せ。
ガムだと思ったらガムじゃなくて
心が傷ついた、謝ってもらっていいですか。
そうした勇者たちのご意見を参考にした結果の
マシュマロエフェクトなのかなと思います。
僕はみなさんに問いたいのです。
ガムパッチンは痛くていいんじゃないですか。
痛いからガムパッチンなのであって、
痛くないガムパッチンに
存在理由は無いのではないですか。
ガムだと思ったらガムじゃなくて傷ついたのは
あなたの心が弱すぎるからではないのですか。
表現とはなんなのか。
優しさとは、そして痛みとはなんなのか。
ガムパッチンには、
僕たちが向き合わねばならない
たくさんの課題が詰まっている。
そう思うのです。
ありがとうガムパッチン。
さようならガムパッチン。(捨てました)