◯読
本が好きです。
正確に言うなら、本を買うことが好きです。
家にはたくさんの本があるのですが、今見渡してみたところ、その3割も読んでいないことに気づきました。
僕は人よりも文字を読む速度は遅いほうで、小説を速くたくさん読める人に憧れます。
しかしここで、あえて問うてみたいと思うのです。
本は、読むためだけのものでしょうか、と。
いや何を言ってるんだという感じではあるのですが、棚に眠ったままいる僕の本のためにも、本の新しい使い方を探ってみます。
有名なもので言うと、「積読(つんどく)」というものがあります。
文字通り、買って積んでおくだけ、という。
この技法は既に市民権を得ているようで、「積読こそが完全な読書術である」(永田希/イースト・プレス)という本すらあります。
(この本もまた、誰かに積読されていると思うと非常にメタではあります)
他に、僕がよく利用する手法として、
貼読(てんどく)
というものがあります。
これは、企画書に貼る、つまり引用資料としての本の使い方です。
表紙の画像を貼り、横に引用文を数行書く。
それだけで、企画書の前段が気の利いた感じに見えてきます。
何とも小手先です。
本に謝れ、というお叱りも受けそうです。
けれど、
本は、読むものではない。貼るものである。
こう言語化してみると、何だかもっともらしく聞こえてきませんか。
続いて、
飾読(しょくどく)
文字通り、本を家に飾る、という。
本棚をインテリアとして見たときに何を飾っておくべきか。
表紙が白い本だけ並べるとそこはホワイトキューブにも似た静謐さが出現し、
自己啓発本が並んでいる人の本棚には何とも言えない香ばしさが漂います。
貸読(たいどく)
これは、人に貸すという「読み方」です。
自分が読む暇がないとき、もっともらしい顔で「これ読んでみてよ」と貸す。
後日、「どうだった?」と感想を聞く。
その要約を以て、自分の知識とするという手法です。
後輩に対するひとつの教育として正当化されうるという点で有用ですが、「借りパク」のリスクがあるという点にだけ注意が必要です。
贈読(ぞうどく)
これは、「貸読」と似ているのですが、人に贈ることを主眼としていることに特徴があります。
誰かの誕生日に贈ってみる。
家族や好きな人に贈ってみる。
何かのお礼に贈ってみる。
贈読に向いているのは、タイトルのキャッチーさです。
ちなみに最近僕が感心したタイトルは、
既読スルーされた数だけ幸せになれる
(広中裕介/KADOKAWA)
スマホ護身術
(大神拳師範・生駒大貴/SMART GATE Inc. )
内向性の人が読む本
(小野浩三/日本実業出版社 )
漁師直伝!魚のたべ方400種
(奥本光魚/農山漁村文化協会)
魔法使いなら味噌を喰え!
(澄守彩/講談社)
です。読みたくなるでしょ?
妄読(もうどく)
もはや、ページすら開かない。
タイトルと何となくの雰囲気で中身を妄想し、読んだつもりになるという手法です。
かつて、マティーニ愛好家として有名だったイギリス首相のチャーチルが、ベルモットを入れず、ただそのボトルを眺めながらジンを飲み「究極のマティーニ」を追求した、という逸話にも通じる。
そんな読書法です。
埋読(まいどく)
タイムカプセル、ってありますよね。
その要領で、買った本をどこかに埋める。あるいは封印する。
数年後、掘り起こしたときに初めてページを開く、という手法です。
古来から熟成発酵に慣れ親しんできた、日本人らしい「読み方」のようにも思います。
お気づきかと思いますが、上記のいくつかは、今僕が適当に思いついたものです。
ただ、本という「メディアのあり方から考える」というのは、活字離れが進む現代においてひとつの処方箋となりうるのではないでしょうか。
マクルーハンも、何かそんなことを言っていた気がします。
他にも、何か皆さんのおすすめの「読み方」があれば教えていただけますと幸いです。