リレーコラムについて

あの人たちを思い出した9月4日。

門田陽

さて、ここまで4日間。その日その日に思い出のある人について書きましたが、今日は特に思い当たる人がいません。でもせっかくですから(何がせっかくなのかは単なる自己満足だけですが)今日も新人の頃お世話になった西鉄エージェンシーの話にするべきかなぁ。

前回このコラムがまわってきたのが2001年。そのペースだと次にまわってくる時まで生きているかも不安なので今のうちに仲畑広告にいた頃の話を書いておこうかなぁ。いやいやそれだと、とても今日一日では済まないから、やっぱりあの頃の西鉄エージェンシーの思い出話をもう少ししようかな。いっぱいあるもんなぁ。

 

あ~、どの話からしよう。まずは当時クリエーティブ部と同じフロアのSP部の中尾さんのあの話から。中尾さんは絵に描いたような昭和の酔っ払いで飲むといつもグデングデン。ネクタイや時計など私物はもちろん、仕事の書類もよくどこかに置き忘れてその度に上司の内藤部長に怒鳴られていました。そんな中尾さんも結婚と共に落ち着き同期と飲んで帰った日のこと。深夜、中尾さんの同期のみんなの家に「主人が帰って来ない」と新婚の奥さんからの電話。何でもバスに乗る直前に「今から帰る」と電話があったのにそれからもう3時間。携帯電話のない時代です。それはおかしいとみんなで探すも朝まで見つからず、警察に届けることになりました。何が起きていたのか。酔った中尾さんはバスの後方席で横に寝そべってしまい、それに運転手さんが気付かずに(この辺が当時の西鉄らしいとこ笑)そのまま車庫で朝まで寝ていたそうです。翌日当然内藤部長の雷が落ちました。

 

SP部といえば吉永さんもなかなかです。僕が入社1年目の11月。吉永さんと一緒に東京へ出張することがありました。僕はイラストレーターとの打ち合わせ、吉永さんはクリスマスの流通視察で特に表参道や渋谷がどんな飾り付けで街を盛り上げているのかを見て来て報告する役目。「スケジュールが重なってるのでせっかくだからお前も吉永さんに付いて東京を見てこい」と上司の清水部長に言われました。吉永さんはまるで畑違いの部署(録音部)からSP部へ来たばかり。かなりアートな人で仕事よりも占いやマッサージや紙芝居が得意でした。東京では僕の横で精力的に写真を撮りまくっていました。出張から戻った翌週。朝からまた内藤部長が怒鳴っています。「ヨシナガ、お前これじゃ何だかわからんだろ、ここ何色だよ?」吉永さんはクリスマスの飾り付けをした街の写真を全てモノクロで撮ってきたのです。全くアートな人でした。

 

他にも3億円テレホンカード事件や偽バットマンモービル事件や幻のインド大魔術団など書きたいことは山積みですが、そろそろ次の人にバトンを渡す時間です。というわけで繋ぐ相手は現役の西鉄エージェンシー社員で唯一のTCC会員(山内弘基さんも中村聖子さんも永野弥生さんも玉川健司くんも森下浩子さんもみんな卒業しちゃったんですね)の占部邦枝さんです。本人によると「私のモテ期は5歳で終わった」そうですが、僕は彼女が女子大生の頃から知っているので、いやいやそんなことはないでしょう、と思っております。来週よろしくお願いしますね。

おっともう一人、肝心な人が抜けていた。白部真一くんも元西鉄エージェンシーで彼とは隣の席でコピーを書いていました。そういや彼の奥さんも元西鉄エージェンシーでと書き出すと長くなるので、その話はまたの機会に。

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