ありがとうの威力
先日、明治神宮の「人形感謝祭」というのに行ってきた。
古くなったり、壊れたり、いらなくなった人形に
感謝のきもちを込めてお別れをする、
それは年に一度の儀式である。
持ち込んだのは、うす汚れた、犬の親子のぬいぐるみ。
初穂料を納めて、魂を祓い清めてもらいました。
ぬいぐるみ供養とは言うものの、これ、一種の殺処分かな…。
ペットを保健所に持ち込む飼い主のイメージが重なって、
道すがら、足取りが重くなってしまった。
その日、神社に納められたのは、なんと総勢50,000体以上。
ぬいぐるみの他にも、雛人形、西洋人形、腹話術人形まで、
本殿の回廊に、整然と正面に向けて陳列される
50,000体の壮観なこと!
そこに立つと、すべての人形と目が合ってしまう、
何とも言えない眺めだった。
燃えるゴミの日にポイ捨てするんじゃなくて、
わざわざ供養に持ち込まれた人形やぬいぐるみたち。
そこには、大切にされてきた物だけが放つオーラがありました。
不思議と、持ち主に捨てられた
恨みや悲しみの目はしてないものだなぁと、妙に納得。
その無数の陳列の中に、
よく見慣れた、うちのぬいぐるみもいた。
あれぇ…
なぜなのか、うちの奴だけが、下を向いてうつむいている。
ギュッと、胸が締め付けられた。
そうか…、お別れするべきじゃなかったのかも。
いまさら後悔したって、もう遅い。
ぬいぐるみは、今日も、うす汚れていて可愛かった。
帰り道、すっかり言葉も出なくなってしまいました。
…なーんてね、あれれ?
半分冗談で書き始めたつもりだったのに、
なんだか暗くて、恥ずかしい話になってしまいました。
飯田さんから心のこもったバトンを受け取った、小澤裕介です。
同じ釜のメシならぬハンバーガーを食らった
特別な後輩に、素敵なコメントをもらいすぎて、
ちょっと調子が狂ってますが、一週間よろしくお願いします。
ちなみに、十数年前にこのコラムを担当した時にも、
やはり、「ぬいぐるみ」のことを書いていたようです。
相変わらず、ぬいぐるみ界隈をうろうろしている
我が性癖を自覚させられます。
ところで、この「感謝祭」という儀式。
この世のあらゆるお別れに、なくてはならない気持ちです。
今まで、どうもありがとう、と。
けれども、それは場合によっては、
別れを切り出す側の罪悪感を軽くするための言葉だったりもして。
恋愛でも、「ありがとう」という言葉の威力で
強引に終止符を打とうとするパターン、ありますね。
本堂の回廊の壁には、横断幕がかかっていた。
そこに書かれていたのは、「お人形さん ありがとう Thanks Dolls」。
へえー。
「ありがとう」って、こんなに独善的な言葉なのか。
ちょっと勉強になりました。
ありがとう。