リレーコラムについて

お詫び。

牧野圭太

こんばんは。DEという会社の牧野と申します。一つ前はカラスという会社と文鳥社という会社をやっていました。光栄なことに、このリレーコラムのバトンをいただいたわけですが、タイトルの通りに、ひたすら「お詫び」が並ぶコラムになってしまいそうです。

お詫び①

このリレーコラム、本当は三週間ほど前のはずだったのですが、とてもとても遅れてしまいました。本当に申し訳ありません。バトンをもらい、嬉しくて受けてしまったのですが、この二週間、人生史上最高の忙しさを記録するような状態となっておりました。

(僕のものではなく)リレーコラムを楽しみにしてくださっていた方、事務局のみなさま、そして、つないでくれた三浦さん。本当に申し訳ありませんでした。

お詫び②

覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが、僕は5年くらい前に「TCCは解散すべし」というブログを書いた人間です。そのことはずっと自分の頭の片隅にひっかかっているし、不快な思いをさせてしまった方々には、今も申し訳なさを抱いています。

ただ正直に言えば、あの時書いたことがそれほど間違っているとは思っていません。誰かの「いいね」よりも、クライアントの満足よりも、それこそ先輩の褒め言葉よりも、自分が心から満足できる仕事をする、それこそが制作の矜恃だと思っています(読んでない人は何を書いてるかわからないと思います・・・すみません)。

お詫び③

実は、今日の朝、人生で初めての執筆活動の脱稿をしました。ライターを立てずにすべて自分で書くという判断がそもそもの間違いで、普通の仕事やりながら一冊の本を書く、さらに会社設立からまだ2ヶ月で頑張らなければ……という地獄のような生活でした。。。

今のうちに謝っておこうと思うのは、タイトルが「広告がなくなる日」というものだということです。

僕のようなまだ何者でもない人間が「広告を語る」こと、さらに「広告がなくなる日」を書くなどということは、とてもおこがましいことだと認識しています。

ただ、個人的な意見ではありますが、このタイトルの意図にネガティブな要素はありません。

僕は、広告という概念や文化がとても好きです。ただ、その可能性はとてつもなく広く、大きなものだと信じています。こんなに素晴らしい思想と技術があるのに、なぜもっと外に拓いていかないのだろう……、という「もったいない」に近い感覚をずっと抱いています。

広告のクリエイションは外に拓いていくべきだと考えていて、そんなことを永遠と書いた本になっています。もちろんクラシカルな広告は素晴らしいもので、そこで培われた思想や技術や文化です。それらをベースにしながら、この広告クリエイティブという仕事が生きる広野が広がっていると思うのです。

「広告がなくなる日」は、広告という仕事がもっと様々な領域にインストールされ、今とは違う形になっている世界を想像して書いたものです。

このコラムの機会をいただけたので、先に「エクスキューズ」させていただきました。

そして最後のお詫び。

リレーコラム、5本が基本だという話を聞いているのですが・・・僕が5本を書こうとすると迷惑をかけてしますので、、、この一本とさせていただきます。申し訳ありません。この気まずい空気の中、バトンを受け取ってくれるのは 猪飼ひとみ さんです(本当にありがとうございます)。

それでは、僕自身も、広告やコピーの文化に、何かしらプラスのものを残せるよう、がんばっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

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