リレーコラムについて

そして母になる

猪飼ひとみ

引き続き、子どもの話で失礼します。
※ネガティブな心理描写がありますので、
今妊婦の方は、しんどくなるかもしれません。
産後のしんどさを、もう少し事前に覚悟しておきたかった自分のために
書いています。

え?自分の?股の間から?にんげんが?産まれてくる?怖い!
と思っていた自分が、母になった。

そして、育児のイメージとして
母親が聖母マリアのごとくあかごを抱いてうふふあははと笑い合い、
まわりでは小鳥たちが飛び回る世界をぼんやり描いていた私は
現実に打ちのめされた。

こんなはずでは。

産後のネガティブな情報など、
妊婦が不安になるだけなので、
きっと誰も教えてくれなかったのだろう。
しかしせめてもう少し、現実的な情報がほしかった。
少なくとも自分には。

産後1ヶ月目。
帝王切開による術後の痛みのせいで、立てない、歩けない、
2メートル先のトイレに20分かかる。
ひたすら落ち込む。こんなこともできないのか自分。
そんなことお構いなしに、こちらのすべての感情を
ショベルカーのように掘削していくあかごの泣き声。
あれは4時〜6時くらいの真冬の明け方。
抱いている子を目の前に、言葉にならない、
衝動としか名付けようがない感情に、文字通り襲われた。
ガガガガー!と、一瞬で体の胸のあたりから頭にかけて、
闇のようなモヤモヤとしたカタマリが覆い、
よからぬものが吹き荒れた。
その時は、必死でそのモヤモヤを抑え込んだが、
あのままモヤモヤに支配されていたら。
私は知った。
虐待は、紙一重だ。
虐待と、じゃない方を隔てているその紙は
障子紙のようにうすーい一枚。
そっち側に、誰だって足を踏み入れる可能性があることを知った。
だって産後が、とにかくそうなるようにできている。

2ヶ月目。
あかご、寝ず。
どなたかこの子にラリホーマを!
(3時間おきに授乳、と一般的に言われていますが、
あんなのはだいたいで、そんなきれいにいくわけないですね、人間だもの。)
うまいこと寝てくれないあかごによる寝不足で、疲労が全身を支配。
母乳工場も閉鎖。ごめんねと思いながら人工ミルクに切り替えた。

3ヶ月目。
ホルモンの崩壊と涙腺の決壊は続き、両頬に涙を流しながら
子連れ狼はベビーカーを引いた。
寝不足、疲労、痛み、ふつうのことができないストレス。
あかごという、不測しかない生き物。
思い通りにならない絶望感、次に何が起こるのかという緊張。
これが何ヶ月も続けば、人間まともでいられるわけがない。
何もなくても涙が出るし、何かあればすぐ悪い方に考えて涙が出る。
いわゆる産後うつだ。
心が、寒天ゼリーのようになった。
敏感で繊細で脆い。ちょっと何かに触れただけで、
ぷるぷると震えて崩れそうになる。
ガラスのハートという例えがあるが、ガラスの方がまだ強い。
お調子者の自分は一体どこへ行ってしまったのか。

嗚呼、こんなはずでは。

コロナ前に、もう戻れないように
産前には、二度と戻れない。
あるのは、産後という時代だけ。

しかしその産後も、つらいことばかりではない。
毎日成長するあかご。
そのすさまじい力に、少しずつ私も笑顔を取り戻していく。
うんこをすると爆笑するところや、
後頭部をふとんにこすりつけ過ぎてできた10円はげ。
ぜんぶが、可愛い。
と、思えるようになってきた。

4ヶ月目。
ここまでで、あかごから学んだことが3つある。

合コンさしすせそは、育児のためにあった。

人生で合コンに3回だけ行った人間です。
今だに知らない人が3人以上いる酒席が苦手な人間です。
だから。合コンさしすせそなどと!そんなもの、この世界から
消えて無くなっちまえくらいに思っていた。

ところが。

ミクロの卵だったきみが、息をして、この世界で生きている!さすが!

なんか臭いなと思ったら、首と首の間のシワにこんなにたっぷりの
アカを溜め込んでたんですか!知らなかった!

ミルク40cc飲むのがやっとだったきみが、200をぺろりと飲んだ!すごい!

花火大会みたいな連続屁!祭りだわっしょい!お笑い偏差値高っ!センスある!

あー、うー、きええええい!……ちょっと何言ってるかわからないんですけど、そーなんだー!

なんだか、楽しい。太鼓持ちしている自分が、嫌じゃない。
素直にすごいと思えない時でも、むりやり意識して声をかけると
なんだか心が軽くなる。魔法の言葉だ、さしすせそ。

子どもは授かりものではなく、預かりもの。

自分に自信が持てないまま、親になってしまったのもあり、
この子が自分なんぞから産まれてきたと、まったく思えなかった。
自分の股の間から?こんな立派に息をして、排泄をして、寝起きできる生き物が
産まれて来たと?馬鹿な!いまだに信じ難い。
この子は神の子なのだ。
神が、人間どもの中からテキトーに私を選び、こう言ったのだ。

よいか、そなたにこの子を預ける。何年後かに迎えに来るからしばらく育てよ。
自分の力で自分の人生を歩めるよう、てめえ、ちゃんと叩き込んどけ。

へっ、へへえっ、承知しましただ神様ああ!
えらいこっちゃ。

この話を母にしたら、アメリカに暮らしていた母の友人が、
育児ノイローゼになりかけた際、教会で
子どもは授かりものではなく預かりもの。授かるとなると、
自分の所有物のように子を扱ってしまい、一人の人間として見られなくなる。
ですから神様からの預かりものと考えなさい。
という話を聞いて、妙にしっくりしたという。
ああ、そのフレーズ、そのままいただきます。
※ちなみに夫は、子どものことを、タイムスリップでやってきた自分だと
思っているそうだ。育て方を間違えると、今の自分が消えてしまうそうだ。
やばい。消えないで。

この子のはじまりは見たのに、終わりまで見ることができない。

たぶん、私の方が先に死ぬとして。
人生何が起きるかわからないけれど。(この子が自分より先に遠くへ
行ってしまうことなど、想像すらしたくないが)
ずっとこの人がどんなふうに生きていくのか見ることはできないんだなと。
つまんねーの。

そうして現在5ヶ月目。
ほぼ首も座り、気候も暖かくなってきた。
コロナの影響もあり、長らく里帰りをしていたが、
家族3人、これ以上離れて暮らすのはさすがに限界なので、
まもなく東京に帰ることにします。
すみませんが、この移動は不要不急ではないのです、わが家にとって。

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