リレーコラムについて

どう?2 「評価と講評」

村田俊平

さて、「どう?」の第二回です。

 

前回は、「乙骨マニアってどう?」というどう?が「相当いい」という評価を得たところで話が止まっていました。2016年のこの時期は「乙骨太郎乙」という洋学者のその変わった名前が小ブームになっており、それと昔懐かしいRマニア(ろっこつまにあ)のマリアージュ。割と王道を行くどう?かと思います。王道といいましたが、「キャラクター・インパクト・シンプリシティ」がどう?の本流で、この3つを高いレベルで満たしているものは相当いいの評価が出やすいと言われています。もちろん、これに乗っ取らなくてもキャラクターと無縁の相当いいもありますし、長いストーリー調のどう?はシンプリシティとはかけ離れますが、やはり相当いいの実績がいくつかあります。

 

ここで、「乙骨マニアってどう?」の講評を見てみましょう。

===

太郎乙最初に聞いたの

フロム大津 (注:大津裕基 2014年入会)

お疲れさんより

乙が欲しい

甲乙丙丁

トンナンシャアペイ

そこに決めたぜ村田チュンペイ

ロッコツマニアから

オッコツマニア

レペゼンカシワの

ひょうきん王

どう聞こう

調子どう?

なんていらないぜ

露骨に相当いい

が決まってロックオン

(フリースタイルどう?場)

===

 

極めて意味不明に思われますが、講評の中では白眉と目されます。講評は時に尾上鳥晃、村田チュン平本人から、送られることもありますが、多くは、私たちが代理で誰か別の人間から講評をもらってきた体裁を取ります。この場合は、当時鳥君が熱を上げていたフリースタイルラップに則り、(フリースタイルどう?場)の誰かが講評をくれたということになっています。余談ですが、この「レペゼンカシワのひょうきん王」というパンチラインはしばしばその後も折に触れて愛用されています。

 

講評を書くのはなかなか大変で、相当いいのクオリティに見合ったアイデアやストーリーが要求されます。その傾向がいきすぎた2017年は、「大講評時代」とも言える、講評のボリュームがとんでもないことになった時代です。

 

例えば、「葬式で「っしゃあ!」って言ってから泣く勝俣って、どう?」で相当いいを受賞した講評

===

まさか、このわたしがぽっくり行くなんて

誰も予想してなかったんじゃないの?

わたしですら予想してなかったわ。ハッ!

そんで、自分の葬式を上空から眺めるっていうんも

予測してなかった。宜保さんかわしゃ。

もっと予想してなかったのは、

峰の野郎がケロッとしてるところよ。

わたしがいなかったらあんな恐妻家、

TVに出る格じゃない。ハッ!

なめとんのか。

と思ってたら、参列者全員スカッとした顔してやがる。

これが本当のゴッド姉ちゃん!とか

ふざけたネタを言い合ってるごぼうみたいな奴もいた。

あれ誰やねん?

で、勝俣もまーた変わらん感じで現れて

どうせ同じやろって思ったら

あろうことか

「っしゃあ!」

て。

あんだけ可愛がってきた後輩までもが

この仕打ちか。

わたしはなんだったんだ。

悔しくて悔しくて復活したろか!って打ち震えてたら、

勝俣がわんわん泣き始めたんよ。

泣くのに気合い入れるバカがいるか!

ついつい笑っちゃって、涙もあふれてきちゃって。

その涙が、寺の鐘にあたって、ゴーンて。

あの鐘を鳴らすんは、勝俣。お前やったんか。って。

わからんもんやな〜。

もう思い残すことは無い。

これでわしも天国いけるわ。

あ、あと一点。わからんかったのは、

わたしって関西弁だったっけ?関東弁だったっけ?

(和田どう?子)

===

なかなか、遡ってみても内輪なものが多くて、公にできるものが少ないのが口惜しいのですが、「Youtuber “KARUKIN”として再起を図るマコーレ・カルキンって、どう?」で相当いいを獲得した講評もまた白眉と目されています。

 

===

子役で輝きすぎると大人になったら輝けない。

なんて僕ら子役はよう言われます。

そんなかでも、トップオブ子役こと

カルキン兄やんは、ほんまつらかったんやろうなって。

僕らみたいな零細子役ですら、

太ったり禿げたりするくらいつらいんですから。

カルキン兄やん、ボク、ジェイクくん、

あ、ジェイクくん言うんはアナキンやった子です。

カーチェイスの果てに

今は精神病院に入れられとるイカした奴ですねん。

まあその3人で、こうなったらリアリティショーでもやって

もう一華咲かせますかとか、

さておき、そんな話を毎晩毎晩ダウンタウンのもつ焼き屋で

やっとったら、ある日カルキン兄やんが来なかったんや。

僕らも偶然知り合った日本から来たFuku言う子役と

盛り上がっとったから気にしてなかったんやけど、

家帰ってズリネタ探しに

YouTube開いてびっくりしました。

カルキン兄やん、YouTuberになっとるんやもん。

僕、涙でよう観られませんでした。

裏切られたと思ったから?ちゃうわボケ。

ずっと前に進めない僕らの背中を押すために、

カルキン兄やんは一人荒野を進んでくれたんや。

あんなたどたどしい兄やん、初めて観たわ。

再生数は僕らの視聴率、

コメントはファンレターや。

ぐんぐん上がる数字とコメントを観て、

僕ら、まだまだアカンタレやない。

これから羽ばたくさなぎやったんや。さなぎ宏やったんや。

って思ったよ。

てなわけでYouTuber始めました!

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(はーれい社長)

===

など、何を読まされているんだ、そして何が面白いんだ、と言う気になっているかもしれませんが、さておき、こういう講評の慢性的な長文化によって、講評が滞る、またはなされないという本末転倒な事態がおきて、その後は比較的コンパクトになりました。今でもまだ、時に講評の方にも傑作が生まれることは多々あります。「いいどう?はまたいい講評を生む」とは私のことばです。

 

さて、昨日と今日で評価には「いい」「かなりいい」「相当いい」があることをお話ししましたが、そこから生まれた「派生いい」というのも存在します。こちらは例えば、「つるピカハゲ丸くんが、白血病にかかって毛が全部抜けたハゲ丸と、なんとか倹約して治療費を稼ぐという物語だったって、どう?」これは、「かなしいい」。「大塩平八郎RUNっていう蔵を打ち壊しながら走るイベントどう?」は「かなり楽しいい」。「ブルーバックで撮影した時顔が青過ぎて透明になっちゃう栗田さん(注:栗田雅俊 2009年入会)」と、顔が消えたまま戻らない撮影後って、どう?」これは「かなりCM」。また、その喜び方もそれにちなんだものになり、上の場合は順番に「よし…」「よし♪」「よCM!」というような思い思いの喜び方になっていきます。

 

どのように今の形になっていったのかなど、評価の歴史などについても詳しくはありますが、そこまで踏み込むとマニアックな内容になってしまいますので、この辺にとどめたいと思います。また講評のトレンドや他の秀作のご紹介ができないのも残念なところですが、それもまた別の機会に。

 

 

では、この評価は一体どのように決まっているのでしょうか。次回は私たちにとっても依然謎の多い「審議会」に踏み込んでみたいと思います。

NO
年月日
名前
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