わたしのオムツを替えないで
大切なのは、何よりも自由でいること。
たとえわずかでも自由を脅かされたなら、
それがどんなに勝ち目のない戦いであっても、
死にものぐるいで抵抗する。
アメリカ建国の祖の話ではない。
2歳の娘の話だ。
たとえば、娘はお着替えを異様に嫌がる。
やんわりと体をつかんで服を脱がせようとすると、
身をよじってそこから逃げ、ダダダと走り去っていく。
あるいは娘は、髪の毛を結ばれるのも異様に嫌がる。
頭にちょっと触ろうとするだけで
サルのように「アッ!」と吠えて威嚇してくる。
中でも、最も大変なのは、オムツを替えるときだ。
食事中の方がいたら申し訳ないが
(まあTCCのコラムを飯を食いながら見るような人はいないと信じる)、
特に大きいほうをしたときは大変だ。
こちらとしては1秒でも早くオムツを替えたいのだが、
前述した通り、体の自由を奪われるというのは、
娘が最も忌み嫌う行為。
猫なで声であやしながら、そーっとやさしく体を持って、
床に寝ころばせようとするものの、
背中が床に着くか着かないかぐらいで異変に気づき、激しく暴れ出す。
そのビチビチと跳ね回るさまは、まるで獲れたての寒ブリのようだ。
これが本当に寒ブリなら、
「おお、イキがいいな」と嬉しくなるのかもしれないが、相手は人間である。
しかも、オムツの中には世にもおぞましいIT-それが外に出たら終わり-が潜んでいる。
ケガはさせず、しかし相手に負けない力で(この塩梅が本当に難しい)、
両脇の下を持って、仰向けになんとか寝ころばせると、
今度は娘は一瞬でクルッとひっくり返って、うつぶせの態勢になる。
「おまえはグレコローマンスタイルのレスラーか!」と
突っ込みたくなるほど俊敏なローリングだ。
そして、再び逃げようとする娘をやさしくつかまえて、
また仰向けに寝転ばせる。またうつぶせにひっくり返る。
また仰向けに寝転ばせる。またうつぶせにひっくり返る。
これを5万回ぐらいやった後、もう1人では対処しきれないことを知る。
妻に助けを呼び、今度は2人でなだめすかしながら、
再びおむつ替えのスタイルに持って行く。
この時点でボクはもう汗だくだ。
そういえば、数年前の結婚式の日、
神父さんはボクら夫婦に言っていたっけ。
「どんな大変な時も2人で協力して乗り越えていきなさい」と。
あれは、きっとこのオムツ替えのことを言っていたのだろう。
寝ころんだ娘の頭上に座ったボクが、両足を持って、軽く持ち上げる。
その間に、足下にいる妻がオムツを切り開き、ウェットティッシュでお尻のITを拭く。
その間も寒ブリは、いや娘は、ビチビチバタバタと激しく暴れている。
まだ言葉は「パパ」とか「ママ」ぐらいしか話せないが、
その顔は明らかに「離せこの野郎!親だからって容赦しねえぞ!」と
言っているのがわかる。
「まだか?もう持たない!」と、暴れる両足をつかむ僕が叫ぶ。
「もう少し!あと少し…!」と、妻がお尻を拭きながら答える。
まるでタイムリミットが迫る爆弾処理班だ。
いや、爆弾は解体されている間こんなに暴れたりしない。
それにしても、娘は
なぜそんなにオムツを替えられるのが嫌なのだろう?
もしかして、ウンコのことを大切な宝物とでも思っているのだろうか?
いや、たしかに考えてみれば、
まだ何もできない娘が、この世に生み出せるたった一つのモノではある。
いまの彼女が出せる唯一のアウトプットと言ってもいい。
そう思うと、このウンコが、とても愛おしく…
…いや、見えてこない。ウンコだ。
あるいは、こんな考えも頭をよぎる。
ひょっとして娘は、ウンコに操られてるんじゃないだろうか?
そうだ! 娘の本体こそがウンコなのだ。
ウンコが彼女の精神を乗っ取り、肉体を操っているのだ。
だから排除されそうになると、娘に命令を出し必死に逃げようとするのだ。
そんなことを汗だくになりながら考えていると、
時おり足をつかむ力が緩んで、娘に逃げられてしまうことがある。
アッと思ったときには、
娘はもう下半身丸出しで部屋の隅まで逃げている。
そして、ついに自由になった歓びからか、
ハアハアと上気した顔で満面の笑みを浮かべている。
娘の名前には、「笑」という字が入っている。
たくさん笑う子に育ってほしくてつけたのだが、
イメージしてたのは、こういう場面の笑顔ではなかった。
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