リレーコラムについて

キリンが死んだから

高田豊造

「キリンが死んだから」と、メグちゃんはデートの約束をキャンセルしました。

 

年末年始でも、クリスマスでも、とにかくキリンが死んじゃったら、

メグちゃんはすべての予定を投げ打って、キリンに会いにいくと決めていました。

キリンは暑い国の生き物ですから、寒い時期に亡くなることが多いのです。

 

この国で亡くなったキリンの多くは、メグちゃんのもとにやってきます。

あの憧れの首や身体がどうなっているのか、メグちゃんは夢中になってその謎に迫ります。

初めはうまくいかないことも多かったけれど、持ち前のがんばりで、

誰もやったことがないぐらい多くのキリンから、たくさんの秘密を教わっていました。

 

彼女は、物心つく前から、キリンのことが大好きでした。

記憶にはないけれど、近所の写真館で撮った写真には、

キリンのぬいぐるみ2頭と一緒に写っている自分の姿がありました。

3歳の時に連れて行ってもらった動物園では、キリン舎の前から動かなかったそうです。

大きくなった彼女は、晴れてキリンの研究をすることになりました。

そして、10年間、日本のどこかでキリンがなくなると、その多くを解剖してきたのです。

 

 

神様がメグちゃんのその懸命な姿を見ていたのかもしれません。

メグちゃんはついに「8番目の首の骨」とも言える、不思議な働きを持った骨を

発見することができたのでした。

 

 

彼女が10年ほどで、向き合ったキリンはおよそ30頭。

一番最初にやってきたニーナから、どのキリンも一頭一頭、はっきりと覚えているといいます。

心からキリンにありがとう、といつも思っているそうです。

「キリンが死んだら」

いまも彼女は、いつでも、どこにいても、何よりも、キリンを一番に考えることでしょう。

 

 

こんなおとぎ話みたいな日常を送る方がいます。郡司芽久さん。

 

キリン博士であり、現在は国立化学博物館に勤務しています。

このお話は彼女が書いた「キリン解剖記」(ナツメ社)からとりました。

すごく魅力的な本です。そしてすごく魅力的な生き方です。

いま僕が一番会ってみたい人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・もう終わりだろうと、

 

多くの人がここまでは見ないと思いますが。

ここまでページを繰ってくださった方のための「おまけ」です。

 

「キリン解剖記」の「おわりに」に、こんな魅力的な話があります。

 

博物館には数多くの標本が収められています。

一種類だけでなく、時には特定種の標本を大量に作り収蔵していることもあるそうです。

たとえば、国立化学博物館には1万点を超えるカモシカの頭骨が保管されています。

なぜこんなに標本を作るのか。

それは、博物館に根付く「3つの無」という理念と関係しているといいます。

「3つの無」とは、無目的、無制限、無計画。

「これは研究に使わないから」「もう収蔵する場所がないから」「今は忙しいから」

そんな人間だけの都合で、博物館に収める標本数を制限してはいけない、

という戒めの言葉だそうです。

たとえ今は必要なくても、残し続けて行く限り、100年後、誰かが必要とするかもしれない。

その人のために、標本を作り、残し続けていく。それが博物館の仕事である、と。

 

実際、郡司さんも会ったことのない昔の人が作っておいてくれたキリンの標本に

助けられることもあるといいます。

だから、彼女も100年後かもしれない未来の誰かに、標本を届けるのだ、と。

 

無目的、無制限、無計画。

「何の役に立つのか」を問われ続ける今だからこそ、この「3つの無」を忘れずに大事にしていきたい。という言葉で、この「キリン解剖記」は締めくくられています。

 

 

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