リレーコラムについて

コピーを”感じ”から書く

栗田雅俊

コピーを書くときに

まずアウトプットの“感じ”を決めると書きやすくなる、

という説はないでしょうか。

 

個人的な考えなので

ぜんぜん間違っているのかもしれないのですが。。

 

 

新入社員の頃、コピー研修で習ったのは、

コピーとは発見である。描写に留まらず、提案がなければいけない。

ということでした。

 

What to sayで何を言うかを発見してから、

How to sayでどう言うかを考える。

的なことを教わったのです。

 

ただ、

確かにそうではあるのですが、

いま現在、自分がコピーを書くとき、

けっこう真逆な時もあるのです。

 

つまり、

なんにも言いたいことは決まってないうちから

最後に世に出ていく“感じ”だけを決めて

書き始める時があるのです。

 

 

コピーを書くとして、

その文章を読んでいる声の感じとか、

語尾はこんな感じとか、

フォントはこんな感じとか、

小説で言うとこれっぽい感じとか、

BGMがかかるとしたらこんな曲の感じとか、

 

そういう、内容以外の周辺を、

とりあえずぼんやり決めて進みはじめる。

 

すると筆が進んで、やがて発見にも辿りつく。

というパターンがある気がするのです。

 

描写の精度を上げていくことで提案が見つかる、といいますか・・

 

 

たとえばナレーションを書くとして、

ビートたけしさんがそれを読む、と適当に想定すると、

たけしさんが言いそうな内容にしなければなりません。

必然的に、正直に語ってるっぽくなる。

そうしてぐるぐる模索しているうちに

ぽろっと、予想もしなかった嘘のない商品の真実が出てくる。

 

たとえばボディコピーを書くとして、

ビートルズの『In My Life』を流しながら書くと、

なんとなく、人生規模で考えてるっぽい感じになります。

あんまり細かいことにこだわる感じにはなりません。

そうしてぐるぐる模索しているうちに

大きなブランドとして普遍的に語るべき内容がでてくる。

 

的な。

 

“感じ”がまとっているオーラのようなものを

商品やサービスに取り込んでいくといいますか・・

 

若手の頃の私は、

コピー一行で発見する、みたいなことに苦手意識があり、

背骨がないまま筋肉だけで走ってるような状態だったので

このやり方に助けられたことが多くありました。

 

“感じ”が見つかってると、

着地で足首をぐねらないという安心感もあります。

先に“発見”して、それを表現しようとすると、

説明的になっちゃってグッとこないこともあったりして。。

 

もしかしたら

CMプランナーの経験が影響しているのかもしれません。

CMのコピーには必ず“感じ”が伴います。

 

もしかしたらこの”感じ”の解像度を高めることこそが

最も大切なことなのではないかと思う瞬間もあります。

”感じ”を重視しない仕事は

どこかで天井に当たることが多い気がするのです。

 

 

この“感じ”から書く方法、

もしかしたらこういうやり方が向いている

かつての僕みたいな方のヒントになる可能性もあるかと思い、

書いてみました。

 

もちろんこれはひとつのやり方の仮説です。

僕自身、コピーをいつもこう書くわけではありませんし、

“感じ”を追求しすぎて、

何の発見もない駄文ができあがることも多々あります…

(そういうことのほうが多い気もしてきました…)

 

だからお前のコピーには深みがないんだ、と言われたら、

ですよねすいません申し訳ありませんとしか言えません…

 

そして、いま読み返したのですが、

このコラム自体、大した内容じゃない気がしてきました。

偉そうに長々と書いてしまってすいません…

 

この文章が目指すべき“感じ”を

もっとちゃんと見つけてから書き出せばよかったです…

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