リレーコラムについて

コロナから10年後の世界 F

日下慶太

コロナウィルスが世界で猛威を振るった。多くの感染者と死者が出たが、治療薬のアビガンが量産され、ワクチンも開発された。開発者のビル・ゲイツにちなんで、ワクチンの名前は『Windows 2021』と言われている。今はアフリカと中央アジアで感染が確認されてはいるが、ペストのように過去の病気となりつつある。

世界経済はコロナウィルスで大きく減退したが、傷口が元に戻っていくように、かさぶたはもう剥がれ、今は薄皮が張っている。日本政府は愚鈍であったが、医療従事者の奮闘と、習慣づけられた手洗いうがいと、従順な国民性によって、欧米ほどの被害はなかった。日本人は家に入ると玄関で靴を脱ぐという習慣がウィルスの感染を抑えたとドイツの研究所が発表した。「GENKAN」が世界でブームとなった。世界中の住宅、ホテル、さらにはオフィスでも、部屋の入口で靴を脱ぐスタイルが増えた。オフィスでのおしゃれな上履き市場が盛況である。

世界は形状記憶シャツのように、元通りになった。リモート勤務が発達するかと思ったが、相変わらず満員電車に乗って人は出かける。東京に人口は一極集中している。また新しい感染症が出たらどうするのか。またその時、考えるのだろう。

東京オリンピックは2022年に開催された。開会式では選手全員がマスクをして、互いに距離を取って入場した。一斉にマスクをとって、空に投げて、国籍と人種を超えて選手が抱き合った。感動的な瞬間だった。人類のコロナからの勝利を印象づけた。サッカーのワールドカップは2024年にカタールで開催された。ナイジェリア代表の数人からコロナウィルスが検出され、ナイジェリアは予選失格となった。日本は久保と中井の活躍で躍進し、ベスト8まで進んだがオランダに破れた。優勝はオランダだった。2025年には予定通り大阪万博が行われた。高度な遠隔手術から、遠隔料理、遠隔葬儀まで、アフターコロナの新しい世界をさらに拡張させた。シマノ館の、自宅にいながら世界各地の海で魚が釣りができるリモートフィッシングの技術に私は関心を奪われた。

2030年今、私は万博の後の大阪で、地域活性の仕事などをしている。早期退職して、海沿いの町で釣りでもしながら執筆活動をしてみたかったが、年金が70歳から支給されることになった。まだ働かなくてはならない。未来は曇り空である。

私、および、私たちはもっと変われたのだろうか。もっとコロナウィルスの収束が長引けば、そうなったかもしれない。一方で、長期化によって世界はもっと悪くなっていたかもしれない。ただ、私の人生に限っていえば、自分がコロナウィルスを契機に、大きく変わることができた。変わらないことを選択したのは、私の臆病さゆえである。

今思うに、2020年は特別な年だった。給料は減った。どこにも行けなかった。しかし、家族と一緒にいる時間が増えた。本を読み、映画を見て、社会と人生のあり方を考えるいい機会になった。ただ、課金をしてまでスマホのゲームにかなりの時間を割いてしまったことは今でも後悔している。

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