リレーコラムについて

シェア型書店をはじめてみた(5)

樋口尚文

こうして「シェア型書店」という発想のおかげで、2022年の1月にまさかの「神保町の本屋さん」は開店した。神保町で最初の本格的な「シェア型書店」ということで「猫の本棚」はけっこうメディアでも話題になった。多くの見物客は訪れたが、はたしてこの100の棚を借りてくれる棚主さんはこの世にいるのだろうか?いやそもそもこの神保町の隠れ家サロンに棚を借りるということにニーズは存在するのか?おかしな話だが「見るまえに跳ぶ」われわれオーナー夫婦は、凝りまくってハコを作った後になって、そんな不安に駆られるのだった。

それから一年後の現在。逆にその答えは、満杯となった100の棚が教えてくれるのだった。「猫の本棚」のニーズは、われわれがお客さんに押し付けるものではなく、それぞれのお客さん=棚主さんによって輪郭づけられるものだったのだ。お墓や終活を研究するサイトの管理人の主婦の棚。事故でチェアウォーカーになり、再び立ち上がろうと努力している出版社男性の棚。かつて早稲田にあって閉業した古書店の娘さんたちが同じ屋号でその店のミニチュアを復活させた棚。高名な研究者だった父君が遺したおびただしい蔵書を紹介しようというお嬢さんの棚。ヨーロッパからアジアまでそれぞれの思い入れのある土地の文化や風俗を広めたい女性たちの棚。カリフォルニア在住で、日本のご友人とネットで語らいながら選書される男性の棚。子育てをしながら濃厚な特撮のZINを刊行している主婦の棚。ずっと神保町で書店をやるのが夢だった読書好きのご夫人の棚。ハングル語の素敵な絵本ばかりを集めた大学のハングル語教授の棚。

さらには、保護猫活動にとりくんだり、愛猫家向けの雑誌を編集されたりなさっている女性たちの棚。戦災の語り部をなさりながら、その成果を自費出版されているご夫人の棚。思い思いの小説やエッセイを凝った造本で自費出版されている男性たちの棚。青山のファッション・アトリエのオーナー氏が海外で集めた本や地図を並べた棚。設計者の男性が快適な暮らしのヒントを提案する棚。いつもは病院に勤務されながら、こつこつと日本の現代音楽のCD化に励んでおられる男性の棚。三島由紀夫の愛弟子として葬儀で弔辞さえ読んだ名女優の棚…‥こういった予測不能な棚が次々と誕生してゆくのを、不肖の店主ふたりは驚きとともに見守るばかりであった。

このほか伝説のドラマ、映画のヒロインから今をときめく麗しき女優さん、今もっとも人気のある噺家さん、名脚本家・演出家、世界的な人気を誇る絵師の棚、気鋭の論客や小出版社の編集者が自著を並べた棚などなど、ひと棚ごとに濃いヒストリーがあって、店内に足を踏み入れるとその棚のオーラ総体に包まれ、なぜか落ち着く。昨秋病いで他界された崔洋一監督は亡くなる少し前にいらして「ぜひ棚を作りたいんだ」と私を驚かせ、「図南の翼」という屋号まで掲げたところで倒れ、ついにご本が置かれることはなかった。この本のない棚さえもが、未だそのままのかたちでヒストリーを語り続けている。

われわれ店主は「シェア型書店」というアイディアに事寄せて大好きな神保町にいごこちのいいサロンを作る、ということだけを目指して、虚心に「場」を作った。しかしそこをどう活かすか、どう楽しむかというニーズは、「主役」である棚主さんがそれぞれに掘り下げてくれて、「猫の本棚」は当初思い描いた姿をはるかに超えて、アナーキーなくらいさまざまな文化と棚主さんのヒストリーが交錯する現場になっている。最近最も驚いたのは視覚障碍者の夫人がご家族につきそわれて棚を作られたことだ。文字も画も見えない方がいったい何を置かれるのかと思いきや、耳で聴けるオーディブル対応の書籍を並べられた。こんな展開など片鱗も予想しなかったわれわれは、ちょっと厳粛な感動を覚えた。

さて、こうしたニーズについては到底読めなかったわれわれだが、あらかじめどうしても避けたいことはあった。それは最近、本をインテリアとして飾っておしゃれさを売っている書店があるけれども、あんなふうには絶対見えたくなかったのだ。むろん内装には凝ってしゃれたサロンには見せたいのだが、本はインテリアではない。しかし、くだんの100の棚が埋まって行くにつれ、そんな心配は杞憂に終わった。というのも、棚主さんたちが本当に思いやこだわりをもって選んだ書籍が並ぶ時、本たちはおのずと落ち着いたたたずまいを持つのである。

時どき神保町界隈の古書店や新刊書店の方々が、新参者の「猫の本棚」を偵察に見えるのだが、ここで「やっぱりシェア型書店なんてカッコだけの流行りものだね」と思われたら、愛書家であり本の書き手でもある自分としては切腹ものである。ところが、幾人もの方から異口同音にこんな感想をいただいた。「開店してまだ一年なのに、もう神保町で十年、二十年やっているような雰囲気ですね」。神保町歴半世紀の私にとって、これが何より嬉しい言葉であるのは言うまでもない(おわり/お店で待っています)

※ちなみに本リレーコラムのバトンを私に渡してくださった前週担当の山口慶子さん、これからバトンをお渡しする次週担当の滝村泰史さんは、お二人とも「猫の本棚」に素敵な棚を構える棚主さんなのです!

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