リレーコラムについて

ビッカースタッフ脳幹脳炎①

上島史朗

タゴラインの多胡さんからバトンをいただいた

フロンテッジの上島史朗です。(8部屋です)

 

突然ですが、5年前、僕は倒れました。

国の指定難病128番。

ビッカースタッフ脳幹脳炎。

 

聞いたことのない病名ですよね。

もちろん僕もそうでした。

 

経緯を、企画書のようにまとめると以下になります。

・朝起きたらとてつもない目眩がした。
・そこから倒れて意識を失うこと2週間。

・意識が戻ると3つの症状が待っていた。

01:呂律が回らずうまく喋れない。
02:手足がしびれて触ると痛い。
03:世界が二重に見える。

 

01の原因は、舌の筋力の低下でした。

2週間、動かないとこうなるみたいです。
頭の中ではしゃべりたいことがあっても、舌がうまく動いてくれません。
誤嚥の可能性があるため、ご飯もずっとおかゆです。
「ああ、もうプレゼンで喋るのは無理だな…。誰かに喋ってもらおう…。」

でも、舌の筋肉はリハビリで比較的早めに戻りました。

 

02は、意識が戻る際に僕は暴れたらしく
体を強くベッドフレームに打ち付けたことが原因でした。
外傷ですから、傷が治るにつれてしびれは減ってゆきました。

 

問題は03です。
どうやらこれが、ビッカースタッフ脳幹脳炎の代表的な症状のようです。
鏡を見ると、左目はまっすぐ前を向いているのに、右目は斜め下を向いていました。
そうなると、モノが、世界が、二重に見えます。
この「二重」というのが、とても伝えにくいのですが
例えばコップがあったとします。
これが2つに見える、というよりも、1つはまっすぐ目の前に見えて、
もう1つは斜め上から見下ろすような角度で見えるイメージです。
重なってさえいない時もあります。
つまり、そもそもの視点が違うんです。

 

「コピーライターって世界を斜めの視点で見るよね」とか、
「君のコピーは視点が足りないよ。」とか、
コピーライターはいろいろ言われることが多い気がしますが、
この時の僕は、文字通り世界を斜めに、2つの視点で見ていました。
おかげで、まっすぐ歩けず大変困りました。

僕が意識を失った2週間、まだ長女は3歳。
妻は生きた心地がしなかったといいます。

 

その後、言語療法、理学療法、作業療法の3つのリハビリを
毎朝、毎夕、行うこと2ヶ月半。
先生方のサポートがあって、
僕はようやく退院することができました。
(だから今、こうしてリレーコラムを書いています。)

 

ある日突然、脳幹を(自分自身の免疫に)攻撃されて、
コピーライターなのに、しゃべることもままならない日々を送った3ヶ月。
あの時、お世話になったみなさんに感謝を込めて。
そして、今日、日本のどこかでこの謎の難病で苦しむ方のために。
自分の体験したことを、今日と明日は書こうと思います。
だって、僕も実感しましたが、
この病気、とにかく情報が少ないですから。

 

明日につづきます。
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