リレーコラムについて

ピアノマンと嘘

麻生哲朗

久しぶりにピアノマンを聴いた。

親しい人の、小さなライブハウスでのピアノ演奏だった。

地元の音楽教室のささやかなリサイタルで、奏者も普段着、レベルもまちまち。

どこまでもカジュアルな、けれど温かいステージだった。

家に帰って本来のピアノマンをもう一度聴き直した。今度は歌詞を読みながら。

英語は不得意で、今まであまり歌詞を気にしたことはなかった。

 

バーでジンを飲みながら老人が、ピアノマンに言う。

He says “Son can you play me a memory.

I’m not really sure how it goes.…”

(ピアノマン、思い出の曲を弾いてくれないか。はっきりとは覚えていないのだが。)

 

はっきりとは覚えていない思い出を、けれど消えたわけではない思い出を

手がかりの少ない中でピアノマンは奏でることができただろうか。

「そうそう、それだよ」と老人は微笑むことができただろうか。

ピアノマンの前に楽譜はない。だからそれは何かの再現、にはならない。

ピアノマンの手癖や思いも加味された独特のアレンジで、それは演奏されるに違いない。

それでも老人はそれを聴いて「そうそう、それだよ」ときっと言うだろう。

 

僕が仮に広告奏者、なのだとしたら、僕はピアノマンのようでありたい。

誰かの朧げな記憶の中にあるメロディは見つけながら、

時代や場所や気分に導かれたリズム、テンポ、コードで記憶を立ち上げなおす。

そんなことをなんとかできないかといつも、それこそ朧げに思っていた気がしている。

広告の世界でのピアノマンみたいになりたいんだ、などというのは気恥ずかしくて、意味も不明で、

演奏を聞かせてくれた本人にはとても言えなかった。

隣に座ってくれていた人にだけ打ち明けてみたら「ふぅん」というつれない返事だった。

「なれるって言ってくれよ」と冗談めかして頼んだら

「なれるなれる、なれるよ」と仕方なさそうに笑っていた。

優しい音色と、優しい嘘に救われる。

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