ブラックジャックによろしく。
「俺、絶対マークされてる気がする」
プールを出て、カジノへ向かった僕が最初に感じたのは、ある違和感だった。少額勝った前回のジンクスを忠実に守り、てるてるにもらったストラテジーの紙をiPadの裏のリンゴのマークのところに貼り付けて持ち込む。ジョブズが生きていたらおそらく激怒するであろう禁断の果実。だが、マカオのカジノはカンペの持ち込みが自由らしい(実際に同じ紙を見ながらプレイしている現地人も多く見かけた)
感じた違和感の正体はディーラーの視線が、僕の中指に注がれていることで明らかになった。ブラックジャックに限らずたいていのギャンブルは「場VSプレイヤー」の戦いである(ポーカーなどプレイヤー同士の勝負ももちろんある)。つまり、ディーラーと自分の手札のどちらが強いか。それを確率論で一覧表にしたものがストラテジーであり、その際に一番基本となるアクションが「ヒット」という、追加でカードを一枚引く行為。言葉の通じない異国のカジノでは、それを指先でテーブルをトントンと叩くハンドサインで行うのだが、僕はそれを利き手の中指で行っていた。
想像してみて欲しい。前日に7針も縫う大怪我をした、包帯でグルグル巻きにされた中指で、痛みに耐えながらテーブルを叩き続ける男の「凄み」を。
「こいつ、タダモノではない」
そんな危機感をディーラーが、そしてマカオのカジノが、なんならsandsグループ(世界的な大手カジノグループ)が覚えていても不思議ではなく、その緊張感は明らかに僕のプレイにも影響を与えていた。
「ちょっと休憩」と席を立ち、てるてるとトイレに向かう。
「俺、絶対マークされてる気がする」
「わくちゃん、指真っ黒だよ」
なるほど、確かに指先を見ると10数秒でテンポ良く進むゲームを、おそらく数百ゲームは繰り返した中指の包帯の先端は、ヒットのしすぎで真っ黒になっていた。いいだろう。向こうがその気なら、その警戒心を利用させてもらう。僕はテーブルに戻り、まるでブラックジャックのやりすぎで中指を骨折したような男の凄みを身に纏い、ディーラーとの真剣勝負に挑んだ。
その数時間後。僕は一人プールエリアのジャグジーに浸かっていた。
「俺、やっぱりマークされてたのかなぁ」
前回両替せずそのままにしていた香港ドルはもちろん、今回のために持ってきた種銭もすべて尽きた。完全敗北である。
『sandsグループをぶっ潰す!』『マカオで一番高い中華食うぞ!』『エロいお店も行こう!もちろん全部俺のおごりや!』
昨日このプールで、てるてると海くんに威勢よく放った言葉の数々を思い出す。今日の夕飯は、カジノの片隅にあるよく分からない食堂のジャンクな辛い麵ひとつ。前回少し勝ったから。そのあとのプレゼンも上手くいったから。みんなでいいムービー作れたから。そんな驕りが油断を招き、指の怪我へつながり、そしてカジノで大負けするという結果を産んだのだ。ふと指先の包帯を見ると黒い汚れがにじんでいたのは、ジャグジーの飛沫か、己の涙か。いけない、先生にまで怒られてしまう。僕は右手を濡らさないように思い切り高く上げる。すかさずやってくるボーイ。
「ノー青島!」
今さらホテル割り勘だなんて言えないが、ドリンクチャージのことを気にし始めている、意地っ張りで涙ぐましい敗者の姿がそこにはあった。
帰国後すぐに病院へ向かう。包帯を取り換えながら医師が僕に尋ねる。
「どうでした?」
「どうでしたとは?」
逆に問いかけようとしたが、医師がカジノの戦果なんて聞くはずはない、怪我の具合のことに決まっているじゃないか。
「・・・大丈夫です」と、何が大丈夫なのか分からない答えを絞り出す僕。
医師は交換の終わった包帯の黒い汚れをちらっと見、それを二本の指でつまみ上げ、診察室のごみ箱に捨てた。
そのとき僕は、ブラックジャック先生の手術代は法外な金額、という設定を思い出した。
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