リレーコラムについて

メルヘンとファンタジー

井手康喬

とつぜんですが、
メルヘンとファンタジーの違い、
ご存知でしょうか?

ふだんあまり意識せず、区別せずに
つかっている言葉だと思うのですが、

むかし読んだ、
佐藤さとるさんという童話作家の
「ファンタジーの世界」という本に
書いてあったんです。その違いが。

たとえばあるお姫様が、森の中で
カエルに話しかけられたとします。
「こんなとこで何してんです?お姫様」

そのとき、

「ちょっと迷っちゃったの。お城はどちらかご存知?」
と返すのがメルヘン。

「きゃあ!カエルがしゃべった気味悪い!」
と返すのがファンタジー。

つまりですね、
メルヘンの世界のほうには、
現実とは違う特殊なルール設定があって、
それを前提としながら登場人物たちは行動します。
現実的にはありえないことが起こっても、
だれも驚かないし、そのぶっとんだ設定までひっくるめて、
読者は物語の空気を楽しめるようにできている。

それに対して、

ファンタジーというのは、
じぶんが日々生きている現実の、その先に、
「もしかしたら起こりうるかもしれない」
現実の延長にある物語を楽しむためのものなんですね。

ファンタジー小説のさきがけは
「不思議の国のアリス」らしいです。
ふつうの少女が、もしかしたらあり得るかもしれない
不思議な世界に迷い込む。
あたしもいつか、もしかしたら、
そういう世界に迷い込むかもしれない?と
読者にギリギリ思わせることで夢中にさせる
斬新なストーリーだったんだとか。

なぜこんな話をしているかというと、
僕は広告をつくるときに、
この現実と非現実の境界線のあたりに、
人がおもしろい企画と思うかどうかの
ヒケツがあるように思えてならないのです。

ダウンタウンの松ちゃんが、
ボケしかいないと笑いは成立しない、
ボケが繰り出す異常な感性を、
ツッコミが視聴者とおなじ
ふつうの目線から見ることで、
その異常性がおかしいのだと安心し
人は笑えるようになるんだ、
みたいなことを言ってました。
たしかにボケしかいないとシュールだけど、
テレビ局は昔そこに
「スタッフの笑い声をいれる」という発明で
お茶の間の共感を生み出し、
番組の幅を広げましたよね。

広告で扱う商品は
生活の中にあるものだから、
自然と、現実の延長であるファンタジーのほうが
多くなると思うのですが、
そこをあえてメルヘンでやってみると
おもしろくなるかも。

あるいは、メルヘンのような
物語性のつよい企画を思いついたら、
そこに現実的なファンタジーの目線を入れてみると
いつもと違うおもしろさが生まれるかもしれない。

その境界線を、反復横跳びみたいに
いったりきたりしていればいつか、

白戸家みたいに、
フツーの家族の中に
しゃべる犬のお父さんという異常を紛れ込ませたり

宇宙人ジョーンズみたいに、
ぼくらが日々働いている様子を
観察している宇宙人が…もしかしたら
いるんじゃないか?と思わせることができたり

トヨタウンみたいに、
企業内の広告シリーズのタレントたちが
ひとつの街に暮らしている異常な世界を描けたり

そんな企画も生み出すことができるんじゃないかと。

とまあそういうお話だったんですが、
いろんなところ、
うろ覚えで書いてるところもありますので、
もし違ってたらごめんなさい。

明日もよろしくおねがいします。

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