リレーコラムについて

今見えているものが、最後の景色かもしれない

真子千絵美

私は2日間、

目が見えなかったことがあります。

 

小学4年生のとき、斜視という

片方の目が意識とは違う方向を向いてしまう病気の手術を行い、

その後2日間は目を開けることができなかったのです。

今思えばたった2日間ですし

病気というほど大層なものではないのですが、

当時の私にとって目が開けられない状態で過ごす夜中の暗闇は、

それはもう怖いことでした。

目の前の暗闇から意識をそらすために、

家族や友達の姿を想像し、

毎日会ってるはずなのに

「あの人、どんな顔だっけ?」

と分からなくなって不安にもなりました。

 

そんな経験をすっかり忘れていたのですが、

少し前、ある作品を見て、

その記憶を数年ぶりに思い出しました。

パリで活動するソフィ・カルというアーティストの、

La Dernière Image盲目の人々』という作品です。

盲目の方々に、

「最後に見たものは何か」という質問を投げかけ、

その証言に基づいて最後のイメージをビジュアル化した作品で、

目の手術の医療ミスで見えなくなった人は、

手術直前に見た医者の白衣。

事故で見えなくなった人は、

物体が顔面に向かって飛んでくるまで見えていた緑色の風景。

最後に見たものが、

生々しくビジュアルに落とし込まれていました。

少しずつ見えなくなった人は、

ぼんやりと見えていた家のソファや家具の様子を思い出しながらも、

「私には、最後のイメージはありません」と述べていました。

 

そんな作品を見ながら、

小学生の時の2日間の盲目の記憶を思い出すと同時に、

今、この質問をされたら何が最後の風景になるのか。

とふと思いました。

まさに今その時が訪れたら、

私の最後の視覚による記憶は、

この文章を打っているパソコンの画面です。

それにはなんだか、ちょっぴり虚しさを感じてしまいます。

司馬遼太郎は、著書『街道を行く』で

「どこかの天体から人がきて

地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、

一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした。

と記していますが、異星人に会った時、

私には自信を持って案内できる場所がありません。

「今見えているものが、最後の風景かもしれない」

という気持ちをもって生きたら、

少し毎日の過ごし方も変わってくるかもなと思います。

最近なかなか日々に追われて

周りのものや自分の意思を大切にできていないので

自戒と希望をこめて最後の回に書かせていただきました。

本当に大切な機会をありがとうございました。

次もしバトンをもらえるようなことがあったら

もう少し、読んで下さった方が

いい時間を過ごしたなと思える文章を書けるようにがんばります。

 

次のバトンを受け取ってくださったのは、

大塚製薬のポカリスエットのコピー

「また野球部たちが「サボりてえ」って言ってる。サボらないくせに。」で

同じ年にTCC新人賞を受賞された藤曲旦子さんです。

お仕事に対する丁寧な姿勢と、

人想いすぎる人柄で大好きな先輩です。

楽しみに大切に、

読ませていただきます。

ありがとうございました。

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