企画の向こう側
社会人4年目。東京。
少しずつ任せてもらえることが増えて、
仕事がどんどん楽しくなってきた頃。
デスクで企画をしていると、
机の上でスマホが震えた。
スマホをみると、
「助けて。」
というラインが来ていた。
背中に感じる気配。
恐る恐る振り返ると
遠くの方で、
白くて長い顔の男が、
オリエンシートを持って立っていた。
この男が、大石雄士だ。
(注 大石雄士 電通 第2CR局 CMプランナー 2012年 TCC入会)
大石さんは、僕より6つも年上なのに
企画が1案も思いつかないらしい。
「大石さん、What to sayとHow to sayって知ってます?」
「え、なにそれ。」
「え、この商品だったら。
使いやすさを言うか、安さを言うか、おもしろさを言うか。
とか、いろいろあるじゃないですか。」
「うわ!なんか企画できそうな気がしてきた!
てるてる、なんでそんなこと知ってるの?!」
「1年目に習いませんでした?」
「習ってない!!」
次の日、
大石さんは30案ぐらいのコンテの束を持ってきた。
あんな束、見たことがなかった。
しかも、めちゃくちゃ面白かった。
こんなことなら、
僕がいなくても大丈夫なのに。と思う。
でも大石さんは、
ことあるごとに僕に「助けて。」と言った。
しだいに、僕は大石さんと仲良くなった。
しだいに、タメ口になり。
しだいに、タケシと呼ぶようになった。
タケシは、がんばればできるはずなのに
自信を失うと動けなくなる。
とあるIT企業の社長にプレゼンした時も、
急に早口で質問されたタケシは、
少し黙った後、
まっすぐな目で横に座っている僕を見た。
社長から見れば、
若手の成長を見守るいい先輩である。
「この質問なら、お前でも言えるよな。」
という目をしている。
そして僕だけに、
タケシからのメッセージが聞こえる。
「助けて。」
僕が質問に答えると、
タケシは「そういうことです。」と付け加えた。
休みの日もタケシと遊んだ。
恵比寿のおしゃれなバーでナンパしようとしたけど、
ぜんぜん勇気が出なくて、
ノートに2人でナンパのセリフをいっぱい書いた。
打ち合わせの途中。
おっぱいの大きさは大事か。という議論になり。
2人でキャバクラに確かめに行った。
でも、「私もお酒飲んでいいですか?」という質問に
「ダメです。」って答えたら急に冷たくされて、
本当に大事なのは、心の大きさだと気づいた。
付き合っていた彼女と別れた時、
最後まで話を聞いてくれたタケシの
「長い映画だったね。」
という言葉にちょっと救われた。
ランチに行くと、いつも奢ってくれた。
そのかわり、帰りに僕は4階のいちごジュースを奢った。
僕は、タケシが大好きだった。
でも僕は、そんなタケシに一度だけ怒ってしまったことがある。
それは、とある競合プレゼン前日の夜。
プロダクションで企画書の最終チェックをしていると、
タケシはレッドブル2本と、カップ麺2個と、
たくさんのお菓子を持って会議室に入ってきた。
「徹夜するぞー!」とタケシは言った。
そこから、なぜか追加の企画を一緒に考えることになった。
もう企画書はできているのに。
夜も遅くなり、
だんだんイライラしてきた僕は、
タケシの出す企画に、
「全然おもしろくない。」
と怒り気味で言ってしまった。
タケシはちょっと悲しそうな顔をして、
「もう帰っても大丈夫だよ。」
と言ってくれた。
僕は、ちょっと怒りながら帰った。
次の日の朝。
タケシからのラインで目が覚めた。
「できた。」
その企画は、今まででいちばん面白かった。
そして、僕は反省した。
あの日、粘れなかった弱さを。
そしてがんばるタケシに怒ってしまったことを。
その日から、タケシを見習って
「できた。」と思った後、
もう一案だけ考えることにした。
自分が良いと思っている企画の先に、
もっとおもしろい企画があることを知った。
そして、今年の5月から、
僕は東京にある電通本社を離れ、
福岡にある電通九州に出向することになった。
タケシからの「助けて。」はもう来ない。
30案のコンテの束を見ることもたぶんないし、
眠たいのに「徹夜するぞー!」と言う先輩もいない。
本当に助けてもらっていたのは、僕だったのかもしれない。
だから、これからは自分で歩いていこうと思う。
眠たい目をこすって、おもしろい企画のその向こう側へ。
そして2年後、東京に帰ってきたら、
タケシにラインしよう。
「助けて。」って。
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4日目のリレーコラムです。
今日は、大好きな先輩タケシについて書きました。
ある人が、「タケシは電通のカナリアだ。」
と言っていたらしいです。
カナリアは、炭鉱で毒ガス検知器として使われていました。
もし、タケシが電通で生き生きと働けなくなったら、
それは電通がちょっと生きづらい場所になっているサインなのかもしれません。
せめて2年後。
僕が東京に帰ってくるまでは、生きていてほしいです。
タケシについては、まだまだたくさんのエピソードがありますので、
また機会があれば、タケシのお話を書きたいです。
今日もコラムを読んで頂きありがとうございました。
明日で最終日となりますが、
もしよければ最後までお付き合いください。
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