偶然
自分は、どれくらい自分の思考や行動をコントロールできるのだろう。今日やるべきことを決め、目の前にある一日に期待し、自分の思った通りの楽しいことが起こる。ほら見たことか。自分が思い描いた通りに事が運んだぞ。いやいやそんな日はほとんどない。大体、必ず、どこかで計画が狂う。そこで考えてみる。計画が狂ったのは自分が失敗したからではなく、自分の身の回りにあるすべてのことが、そもそも偶然で出来ているからなのではないか。なぜ今日の朝ごはんはパンにしたのか。なぜ今日はバスではなく電車に乗ったのか。なぜその人を好きになったのか。自分の意思で決めていると思っているいろんなことも、明確な説明を求められると意外と答えられない。行き着く説明は「なんとなくそうなった」になってしまう。自分でコントロールできないことは気持ちが悪い。不安になる。でも見方を変えると尊い。偶然は、人間の無力さだと嘆くこともできるが、それを受け入れることができる人間の懐の深さとも言えるからだ。偶然と言えば、古代アテネでは、議員は「くじ引き」で選ばれていたという。社会が偶然を認め、偶然を本気で許容していたのだろう。私のような者が、ここで勝手に何かを書いているという偶然。これもひとつ、尊いと思って許してほしい。