リレーコラムについて

撮影日誌

中里耕平

先週はあるCMの撮影があった。撮影はちょっと久しぶりだ。
リモートな日々の中、やはり晴れの場感があるので鼻息荒く向かった。

鼻息といえば、ぼくはスースー鼻息がうるさいと言われたことが何度かある。
これは鼻腔のあたりが華奢で細やかな作りをしているために
笛が鳴る原理でスースー音がしてしまうのだと思う。
長澤まさみもかつてTVで同じ弁明をしていた。
つまり、「うるさい」イメージとは正反対ともいえるガラス細工のような「繊細さ」が
皮肉にもうるささを招いてしまっているわけで、
「うるさい」などと普段言われ慣れていないぼくと長澤まさみとしては、
言われると結構ショックなのである。

京王多摩川駅で降りて右手へ。
角川大映スタジオへ向かう。
そういえばスタジオ直前の交差点にある「テーラーサトウ」の名を
今日も見るまで思い出せなかった。
何十回も来ているスタジオの近くの、確実にいつも網膜を通っているはずのこの看板の名を
全然覚えていないことに数年前に気づいて以来、つとめて覚えよう覚えようとしているのに。
しかも「サトウ」が出ないとかならまだいい。
今日も「テーラー」すら思い出せなかったのだからひどい。
覚えるのはいつの日だ。

スタジオ入り口で検温などを済ませ、「STAFF」というシールをもらう。
特に深く考えず、ズボンの太ももあたりに貼った。
監督に挨拶など済ませ、ビジコンのあるテーブルにつく。
すると、隣に座るプロデューサーKさんは、Tシャツの裾のあたりにシールを貼っている。
これを貼る場所の正解が、いつもわからない。
なんだか、Tシャツの裾の方がかっこいい気がしてきた。
慌ててぼくもTシャツの裾あたりに貼り替える。
これも毎回やっているような気がする。
一度貼ったシールをいそいそと剥がして貼り直す儀式。
じつは、この秘密の儀式のおかげで毎回事故もなく撮影が済んでいるのかもしれない。
みんなにも感謝してほしい。

お昼近く。衣装チェックなどでスタジオ内を行き来しながら、
制作さんが長テーブルに並べ始めた四角い箱を、横目で素早くチェックする。
「しょうが焼き」「唐揚げ」「鮭」
この時の動体視力はすごい。
歩を止めずに、よもや見ているとは気づかれないように、しかし確実に見るのだ。

脂ののった鮭の力で(いや、ぼくはほぼ何もしてないんですが)午後も撮影は順調に進み、
タレントのオンリー録りを残すのみとなった。
(CM撮影に詳しくない方のために説明すると、
ナレーションなどの音声だけを収録するのをオンリー録りといいます)

オンリー録りを始めるにあたり、制作Nさんが、
縦書きのナレーション原稿を「どうぞ」と手渡してくれた。
これをぼくは「いや、要りません」と固辞した。
この日調布の街に初めて吹いた、冷たい風だったろう。
「まさか受け取ってくれないなんて」
ショックそうなNさんの、今にも涙が溢れそうな顔。
「これからオンリー録りだというのに」「何を考えているのこの人は」
ざわめくスタッフさんたちのそんな視線は痛いが、それでも鬼の心で、紙は受け取らない。
じつはぼくは、こういうときに
ナレーション原稿じゃなくて演出コンテを見ながら臨むようにしている。
全員が同じ紙を見ているというのは危ない。
その原稿にタイプミスがあったらまずいので、
リスクヘッジのためにも、演出コンテを見るようにしているのだ。
ここへきて急に意味のあることを書いて恐縮だが、
結構これはコピーライター的に正しい作法な気もする。
といいつつ今日も原稿にタイプミスは全然なくて、
オンリーは、そして撮影全体は、つつがなく終わった。

やはり撮影はいい。
以前のように心おきなく撮影ができる世界が、早く戻りますように。
そう思いながら帰路に着いた。
次ここに来る時はまたテーラーサトウの名を思い出せないだろう。

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NO
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